敬する時は、身、強健なるを覚ゆ。
敬弛めば則ち萎でつして、或は端坐する能わず。
『言志四録』より
敬いの気持ちで、人に、物事に接することの大切さを説いている。
私自身、不徳と未熟がゆえに『敬う姿勢』が、
十分には身についていない。
いい気になり失敗していく。
「そんなもの、大したことない」と考えてしまう癖。
そうやって、自分を上に押し上げようと努めている。
だから、その気持で自分の身をもさげすみて、
心が自身の体に通わず身体が強健とはならず。
『敬う姿勢』が身につかないから心身が萎える(なえる)。
端坐という姿勢を正して座ることもできていない。
それでは長らく座禅や冥想をしても、益なし。
そこで、敬いの気持ちを持って、
人や物を見るよう考えてみよう。
そう心がけてみた。
それは感謝の気持ちにも通じることです。
目の前のパソコンを敬い、思いの人を敬い、
日頃悪態をついてしまいそうなものを敬い、
他にも多くの敬い不足であった人や物事を。
自分が世話になっていることを、
世話になったことを思い起こす。
心が落ち着き豊かさが身にしみてきます。
自分の内側の気持ち次第で、
冷めたスープがあたたまる。
そんな充足感に満ち足りる。
そのこころもちで端坐する。
体の緊張がほどけていく。
これで、強健。
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