『胴体の存在感』>『腕の存在感』

小手先は意識無用、
胴体意識が重要。


そう記憶してください!





私達は手先を使って道具を操作する。


触るという意識は、
てのひらでの触感。


パソコンを操作するときの入力装置として、
キーボードを叩き、
マウスを動かしクリックする。


そのような操作をし続けると、
やがて自分の胴体の存在感を
ころっと忘却してしまいます。



その理由は、どこからくる?



脳の中では、
手先の神経が大きい。
下図を参照してください。
すると体性感覚という、
視覚や聴覚といった特殊感覚と異なり、
感覚器が外からははっきり見えず、
皮膚・筋肉・腱・関節・内臓の壁そのものに含まれる情報を
キャッチする感覚があって図で表現したものです。


左が一次体性感覚野の地図。右が一次運動野の地図。.png


手のエリアと胴体のエリアを御覧ください。


手と胴体のエリアを比較してみると、、
圧倒的に手のエリアが多くの脳の部位を占めていて、
それは胴体の2倍にもなっていることがわかります。



手の感覚は胴体がキャッチする情報よりも
割合にして倍以上の大きな情報を得られるようですね。


黙って自然にパソコンのキーボードを操作していると、
手先の鋭敏な感覚の目が大きく見開かれていくことこの上なし。
胴体の意識なんて吹っ飛んでしまうのです。


ホムンクルス理論人形.jpg


それは脳科学上、生理的に起こりやすいことだといえるのかもしれませんね。



ただ武道などを嗜む者たちにとって、
手先を鋭敏に感じ取り使いこなすのは必須だが、
それ以上に胴体部分の操作を優先させています。


小手先と胴体が連携して動きを醸しだす。
それぞれの分業がなされているのですが、
それは生きた胴体の動きが優先されます。




胴体の動きが先に起こる。
その動きに乗じて手先や足先が胴体の動きだしに乗って動かされる。


そのような連携が起きていなければならない。



腰が入った剣捌きをするにもそうであろうし、
胴体の心臓部分を目標物に正確に向きを捉え、
様子を伺うようにしていく。



腰椎と頚椎の前傾と後傾作業と、
胸椎の回転作業が組み合わさり、
胴体を確実に正確に作動させる。


ムリとムダとムラがない動きへ。



そこがあれば、
あとは綿密な呼吸力の力を引き出せばよい。
(この呼吸力とは、一般レベルのイメージを越えての呼吸力です ^-^ )


それが最終ラウンドまでできあがっていれば、
あとは手足が自在に乗ってついてくるのです。



常に、この流れです。



この動きの整え方をすれば、十分イケテマス。



この流れを見失って、
脳の体性感覚野の地図や運動野の地図通りに、
生きていってはならない。


常識的に機能通りの動きをしていては、
隠されている財宝を掘り起こせません。



目で見ることも必要だが、
心臓部分を目標物にしっかりと向けて情報をつぶさに捉えるよう設定すること。
心臓の向きという胴体の目で見ること。


頭部は、胴体から伸びた手足と同様の出張機関のひとつに過ぎないのです。



胴体の目で感じ取れなければ。
そうできていなければ、
手先や足先だけが浮足立つ、
うわっ滑りした動かされようで、
根無し草が漂う「小手先の動き」にしかならない。



その動作の仕方だけしか体験したことがないというのは、
人生における損失のようなものだと言えるでしょう。






つまり。


人は、脳に支配されれば、
体性感覚エリアの広い手先に注意が持って行かれていて、
胴体の存在をないがしろにしやすい生き物なのですよね。


小手先の動きであれば、
非力で、重心を損なう。




達者な動作とは程遠い。




そこから一歩を抜け出すために、何をすべきか。


どうあるべきか、実態を解明するチャレンジをするのか。


そうすることで、合理的に体が機能を発揮作用し始めて、
それで人生を生きるのと、
小手先を使う脳の生理という色眼鏡で囚われ、
胴体の重要性に気づかずに生きる人生は違う。



それは衝撃的に、
本質が違ってくるのだと思う。