私は最近、
「促通法」という脳梗塞後遺症からくる患側の動きを促進させるテクニックを勉強していたのだが、
動ける方の健側の動作を「促通法」で促進させていくエクササイズをしていくことで、
健側の動きの巧みさを増すことができるようにすればよいと考えていた。
多くの方々の身体操作法は、屈筋優位な動作が主だ。
その屈筋を支配する脳の部位は、
新皮質部分の脳の浅く多くの場合の脳梗塞によりダメージを受けやすい部分です。
だったら屈筋優位な動きは、
武道やダンスでも関節の入りが浅くなって力みグセがひどい
パーフェクトな運動性能を引き出すにはお粗末なものでしかない。
その屈筋優位な動きのモーションパターンしか持っていない能であれば、
そこを切り離してしまってもいいのかもしれない。
(実際は武術では、伸筋も使いすぎて疲れてきたら屈筋も混ぜて伸筋のオーバーヒートを低下させる技を使う)
伸筋部分は体幹という自分の身体を支えてくれる生き続ける生命線となっている。
だから伸筋部分は脳の中でも奥まった部分に位置しており、
脳梗塞が発生したときの場所によるが、
比較的浅い部分に症状が出たのなら伸筋操作は本来的には影響がでにくい。
ただ、
多くの人々は意図的に伸筋を身体操作のなかの効率的運動の支柱とせずに、
使った試しがなかったから、
屈筋が動けなくなったとき、
もう動けないと早合点したに過ぎない。
ならば伸筋が動くような誘導をさせる。
そこが「促通法の賢い秘密」だ。
また、
山元式頭鍼療法の応用でてい鍼で脳梗塞が出た部分を活性化させるスキルを使ってみたり。
または、
自作てい鍼を2本利用して、
施術者の体の内側の神経から生ずる電流を利用し、
ポラリティセラピー等でおこなうようなクロスポイントを
適宜サーキット状に順次当てて気の流れを促進させ補助させることで、
副交感神経を優位に持っていかせると同時に患側内部の神経への状態テンションをあげる。
それに
ボウエンテクニックの「脳神経を刺激して、 身体の変化を促す」というのも、
今は私の経験上、こちらは力不足で一番伸ばしていきたいところなのだが、
有効打にできないかと模索し続けている。
以前、私のブログで紹介させていただいたZ-HEALTH の宮崎さん。
2017年08月11日
あなたは ”Z-health” って、ご存知でしょうか? ^-^
http://bodywise-note.seesaa.net/article/452598938.html
彼から脳梗塞後遺症による患側の動きづらいか動かなくなった身体部位を動かすためのヒントを頂いた。
> 脳梗塞に関して、Dr. Eric が面白いことを言ってました。
>
> 「ダメージを受けた側の脳に対応する半身が動かなくなったとき、 動く半身をあえて動かさない事が脳を回復させる」と(笑)
>
> 動く方を動かしていると、 非ダメージ半球がアクティベーションされすぎて、 ダメージ半球をより抑制し始めるのだとか.....
>
> 何れしても、 単純に刺激を与えて上げることが脳の機能を回復させるようです。
おぉ、、、。 ^-^;
なーるほど。
右利きの人間は、右ばかりを使う。
それでいつも右手で文字を書く習慣があれば、
左手は上手に繊細かつ思い通りに文字の筆記ができるものではない。
ならば、その人間は、右が使えれば左は使わなくてもいいとなるはずだ。
わざわざやりづらいことをさせて、
身体や脳に強いストレスを感じさせたいわけはない。
つまり、右利きの人間は、右が使えれば左を切り離して使ってしまう。
左手で文字を書こうと練習することも稀だから、
そのまま右利きのままでいようとする。
そのままでよくて、それ以上を望まなくなる。
だったら、たとえば左手しか使えない状況に追い込まれたときはどうだ。
右手を怪我して包帯でぐるぐる巻かれて肩から吊り下げられた状態で数ヶ月も固定されたままならば。
それでも仕事では文字を書かざるをえない。
そこで左手を使って文字を書くしかなくないと追い込まれてしまった。
そうなると、
「それじゃ、左手で書くしかないな」と腹をくくることができた。
腹をくくるほどの必要性を痛感して念をいれられなければ、
人は変わらないんだ。。。
つまりこれが、
> 「ダメージを受けた側の脳に対応する半身が動かなくなったとき、 動く半身をあえて動かさない事が脳を回復させる」と(笑)
ということだ、な。。。
それは、道理だ。
私にとって盲点でもあった。
> 動く方を動かしていると、 非ダメージ半球がアクティベーションされすぎて、 ダメージ半球をより抑制し始めるのだとか.....
動かない側を動かす秘訣は、
それは例えば、
右利きの人間に、利き腕の右ばかりを使わせないことだ。
右手を抑制して動きを封じ左手を活かそうと脳が必死になったとき、
そうして欲しいんだという必死さが通じた時にだけ、
その必死さに対して脳は「信頼してくれ」と答えてくれるのだろう。
ここへの手当が手ぬかっていたとしては
成果がトレーニング中の一時期に終える。
そのような推測をすることがだきるだろう。
実際にどのような手法として、この考えを落とし込めばいいのかは、
今はまだ想像がつきません。
前提として、患側の動きがおこるよう脳ばかりではなく全身が集中した状態になっていくことだ。
患側と健側が互いを目的の状態へむかえるてチームになり
大事に手を握ることまで俯瞰して全体像を描き直すことだ。
そのようにイメージをリライトする必要性を感じさせられた。
少し、見方を先に進められたようだ。