こんにちは。
昨日、香取神宮方面にある私の父の墓参りへ。
私にとって、父の墓参りは、
大切なものを教えてくれる特別な聖地に巡礼となります。
香取神宮から墓のある千葉県下小野の妙香寺までの道筋は
起伏に富んだ小高い道や農道などを通ります。
1時間強片道にかかります。
街灯がないので、
日が暮れると帰れなくなるのです。
それで、昨日は失敗しました。
香取神宮にてゆっくりしすぎたため、
墓前での時間はお線香を灯してお供えする5分だけ。
惨憺たるものでした。 ^-^;
ただそれでも歩いてみる価値がある地なのです。
農地近くのぽつぽつとある集落では、
お住まいの方が気さくに
「こんにちは」と丁寧に声をかけてきてくれる。
老いも若きも。
皆様、そうなさいます。
たしか鹿島神宮周辺もそのような、
気さくな声がけをしていただけるエリアがあるんですよね。
おそらく四国巡礼の道すがらでも、
そのようなお声がけをしていただける地なのでしょう。
行って帰ってきたものから、
こころをあの地に住む方々から
洗ってもらったといっていたのが印象的でした。
そのような場に足を踏み込むと、、、。
「そこの地にいていいんだよ ^-^ 」、
という「居場所」を.与えられた感じになります。
思わず温かい気持ちになり笑みがこぼれてきます。
都会では、
特に東京では、ありえない感じかもしれません。
人が多くて声をかけるのもはばかられるという現実。
そこが行き過ぎると、そこの場に自分の居場所を感じ取れなくなってくる。
電車内ではスマートフォンに熱中するあまり、
戸口で人の出入りをふさいでもお構いなしの人もいます。
周囲に人がいても、そこに気を通さない。
人とは気持ちが通じないという経験を重ねていく。
そのような体験が増していく末は、あまりよい未来とはならないでしょう。
精神的にも、そして健康面でも響いてくるものだと思えてなりません。
アドラー心理学では、
人にとって大切なものがあるとすれば、
それは自分がいていいんだよと受け入れられる「居場所」があること。
そしてその受け入れてくれた方々に必要とされる「出番」があること。
そのようにいい、それを<共同体感覚>という名で呼ぶそうです。
道すがら歩いていて、ほんとうに気さくに声をかけてくれる。
「出番」として頼られるだけの圧倒的な技量や力量を認めてくれたから、
あいさつをしてくれるわけではなく、
まずはあいさつをして相手を受け入れて居場所を用意してくれるのみ。
さわやかで、温かみのある人が、その地域にあふれている実感を持てる。
そんなにいい人達がたくさんいる日本だし社会だし、、、と思えるから、
そこに尽くしたいという気持ちが心の奥底からにじみ出てくるのです。
そのような人のために自分の力を出せる得意な出番で、
活躍する。
そうなると、人は強くなれるんです。
内気なものでも、その地にて散歩をするならば、
いつしか笑顔で人を見たらこちらから声をかけて挨拶をするようになる。
昔にはそのような様子が、
日本のここかしこでもあったそうです。
アメリカへ旅だった私の施術のこころの師匠と呼ばせていただいていた方は
アメリカにはそのような気風がいまだにあるんだといっていました。
だから日本を離れていくのだとも。。。
そのような小旅行でもある墓参り。
人にやさしい気持ちで接することができる地に足を運ぶ、
いい体験学習ですよね。