身体の基礎工事が必要なとき---2

その影響はときとして脚部を改善すればとれてしまうという、意外に簡単に処理できるケースもあります。
これは大変ラッキーな方ですよね。
しかしこれはめったにないのが実状です。
身体がまだ使われかたが癖のない子供時代でしたら、そのような自然な連動的解放がスムースに進んでいきます。
だが年齢を重ね、自分のからだの使い方の弊害が起こり得るパターンについて何ら不思議に思うことなく使い続けるようになっておりますとその自然な連動的解放を期待するよりは、その連動的解放が自然に起こせる力が少なくなっていると考えて直接的に手を打つことが重要となります。そうしなければ、一端からだが解放されたとしてもまたすぐ無意識に使う自分自身の弊害が起こり得るからだの使い方パターンによりまたからだの硬直が進んでしまう結果となります。

一般的な整体やカイロをなされているところでは、無意識に使う自分自身の弊害が起こり得るからだの使い方パターンまでアプローチすることが時間的にも難しいのが実状です。

うちもかなり経営的にも肉体的にもそこまで一人のワーカーの知恵で対処しようということは、かなり無理をしている部分があります。しかしより優れたアプローチを求めていけば、僕の理想とする形はこのようなものなのだとアウトラインが浮かび上がってきています。それに伴って10回目のワークが終了した後のクライアントの変化の度合いなども比例していいると見受けられます。(まだまだ改良の余地ありですから、今後とも勉強を怠ることはありませんが。)

ですから、その意味で私どものところでは大変特異なアプローチであり実際にワークを受けてそれが進んでいかなければ、「なんとなく言われている意味がわかってきた!(身体を合理的に動かす運動法やボディワークをされている人にははっきりと体の使用感覚レベルが向上していくことが理解でき、それによりかなりのハイレベルな運動能力を発揮される方もでております)」ということまで理解しづらいというものでしょう。
これは説明のみを聞きなんとなく頭でわかるレベルと、ワークを受けていき身体コンディションが研ぎ澄まされていき体が納得できるレベルの差だと思います。
からだが変わらなければ理解できないことがいかに多くあることか、驚かされることが多くあるはず。

これには天と地ほどの差です。