具合の悪い想念を抜け出してみる

ちょっとした想念の違いで病気や症状に影響が出ることがある。


たとえば『とても自分は具合が悪い』という強烈な想念を持つ。
ちょっとやそっとではその想念を追い払うことができない。
すると具合が悪い状態を体は保持し続けようとする。
病気のままでいるための闘いです。
一進一退の攻防が繰り広げられる。
自分が自分を苦しめる戦いです。
自律神経を深く傷つけます。


だがなんらかのきっかけで
強烈に『これで治る!』という新しい想念に取って代わられたとき。
それがきっかけで自律神経系が正常化して自然治癒力が促進される。


想念の好転がきっかけで
積極的に自分の健康に注意を払えるように。
生命力を輝かせることに目を向けてみよう。


でもひとそれぞれそのきっかけは異なるでしょう。

そのきっかけをどう解釈するかなんですから、
解釈のパターンの違いとでもいえましょうか?


たとえば私がどろのように疲労しきったとき。

スマーティをしたり、Mリングにかかったり、カッピングをしたり。
そうする時間を設けることでどうにかこうにかやってきました。
その成果実績があるから
『これをすれば大丈夫だ、リカバリーできる』と信じてる。
自分が好きなこと信じていること心地よいことであるから
否定的な感情は起こらずその悪影響をこうむることはない。

ここが他人から強くプッシュされ新説に踊らされ、
自分がそれに楽しみを見つけられないとき。
楽しんでないならそれは続かない。
想念の切り替えができない。


私がお客様などに強制的にこれをやってとかいうことはない。
「やってみるといいかもしれませんよ。」程度の語気です。

私自身はそれをすることで想念を切り替える要素があると思う。
だから勧めているんです。
でもその言葉を投げかけたあとは
受け取る方がどのようにそれを解釈するかが問題。
相手に任せます。

ただ私と信頼関係が出来上がっていたり、
相手がすごい性格の良い素直な方だとすると、
期待した以上の成果を見せてくれるケースがある。

そんなとき私は
ひそかに『奇跡が起きた』と驚いている。