自立を促すのが愛


このたびの北京オリンピックの女子ソフトボール決勝のとき。
NHKテレビで決勝戦を解説者として
ネット裏から決勝戦を見守った宇津木妙子前監督が、
金メダル決定の瞬間、感極まった声に感動した人は多いはず。
“鬼監督”として知られた宇津木妙子前監督の涙です。


私もひとりぐっとこみ上げてきました。

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「自立を促すのが愛」という言葉をとある本で読んだことがあります。


よくたとえられる話ですが。。。


無人島に男が流された。
男に渡すものは三日分の食料がいいか魚釣りの釣竿か。
一時的に飢えたとしても釣竿で魚を釣れるならばいい。
三日間飢えをしのげてもそのあとのことを考えるなら。


消極的にとりあえず三日間生きる手立てで安心するか、
積極的に自力で生き続けられることに活路を開くか。


もし食料を得てから考えようと猶予をえたとしても、
それは生き抜くためのアイデアをえたものではない。
一時的な食料をえて死ぬまでの時間を延ばすのでは、
どこか政治家が問題を先延ばしにする姿に似ている。


そんな教訓めいたことに思いをはせてみて。


「自立を促すのが愛」という言葉を
鬼といわれても押し通した宇津木妙子前監督。
その方の涙だからこちらもこみ上げてきてしまう。


各監督ごとに指導方針は異なります。


ただ自力で考えて生き続けられるよう
鬼になり指導することも大切なんです。


私ども施術をするものも、
独力でがんばっています。


誰か監督がいるわけでもない。
「能力を上げるか仕事を去るか」というシリアスな場面は、
転業していった友人のカイロプラクターや鍼灸師や・・・、
何人もの友人から苦しくなるほどのことを聞いています。
原因は資金繰りだったり、体を壊したり、
能力の限界を苦にしたり。。。


そんなとき私がすずめの涙ほどの助力をしてもだめなんです。
鬼監督のように自立を促す指導者がいたら、
「歯を食いしばってこれをやれ!」と叱咤激励したではず。
一人で苦しんでした先細る決断が別の答えに変わっていたかもしれない。


鬼監督と呼ばれる宇津木妙子前監督。
その内側は暖かい人物なんだろうな。