姿勢が整っている人と、
整っていない人の違い。
それは、どこにあるのだろう?
体の表層を見ても想像するしかない骨格が、
理想の位置におれずに不安定になっている。
なんとなくぐらついてしまいそうになるから、
転倒することに対して恐怖心を持つ。
そこから肩を少し上に持ち上げつつ、
脊柱を取り巻く起立筋等の抗重力筋が緊張し萎縮してしまっている。
そうなると武道的にも「死に体」のようになる。
筋肉がリラックス出来ないため力みで自らの身体を支えるにも不安。
そのような状態では重心が上ずってしまうため、
ベストな安定感を感じることができないようだ。
そんなときに、
椅子の背にちょっと手を載せてみる。
別にがしっと握らなくてもいいのだ。
軽く乗せるだけで、
ある程度の身体操作ができるキャパがある人ならば、
がぜん体の芯がみつけられ重心が丹田部分に近づく。
先ほどの何もない状態で立たせているときとは違う。
椅子の背に寄り掛かり支えてもらうわけではないが、
指先の鋭敏なセンサーが地面から伸びた延長物を触ると、
脳が二本足で立つ感覚から、
あたかも三本目の足を地につけて距離を図る計算をする。
その三本目の足があると、いきなり安定しだす仕組みだ。
カメラ撮影をするための三脚ってありますよね。
三脚とは三本目の足があるから自立するのです。
カメラの足は二脚では自立できないんですよね。
そのような視点を持って体のなかを見透かしてみると、
どのような地面との接触情報をキャッチしていくのか。
普段はいつも椅子の背中を触り続けられません。
だから二本の左右の足と、あともう一つの足。
それを足して三脚にできるならば構造として、
安定しやすくなる計算ですから、そうしたい。
そこでたとえばひとつのやり方として。
脊椎に支柱を据えて、
尾骨の延長線上に地面を感じさせる。
骨盤の制御を含めた体幹操作ができないとできないことではありますが、
肩甲骨は肋骨から少し浮かせ気味になり、
腸骨も仙骨との関節の間を作り浮かせて、
それでなおかつ胴体の上下左右前後の立体強度が上がる位置に置きます。
そのようにすると私自身の体感では、
背中にしっかりとした壁が出現してそれに触れる体感を感じだしていて、
その背中の壁が第三の足になっているわけです。
そのように第三の足を持つことができた瞬間が、
体の一部を止めて一部を動かすような身体のパーツ分けをした動きができるようになり、
空中に頭の一点を静止させ手元のミリ単位かそれ以下の立体的な位置情報を得られだす。
私のような大きな力を駆使するものは大雑把な圧をかけてそうに見えますが、
大きな力を与えることはリスクにもつながるわけですから慎重になりますし、
それに指先がミリの半分の治療点を見つけても、
そこに手元を伸ばすだけではないのです。
圧を与える角度と力量と力速度も計算している。
それを叶えるためにお客様の体に寄りかかると、
お客様の身体は押せばぐにゃりと位置がずれて
それを追うと私の重心が乱れるようになります。
だからお客様の体を触っているのだから、
そこを三本目の足で椅子の背中にすれば?というのは、却下なんです。
そんなことを自在にこなすために、
太極拳をなさる方々は、
馬歩立ちという空気で出来た馬にまたがっているかのような格好で立つ修練をしますし、
太気拳では這いという馬歩立ち様な姿勢で極端にゆっくり動きながら体の芯を練ります。
そうやってか、様々な用法で体の中にもう一本の足を付け足していくわけです。
そうすることができれば、
三脚状のカメラは水平を保ち続けられますし、
ビデオカメラならばパーン棒のようなもので
美しい水平軸回転もできるし、
上下の動きも精密にできるし。
手持ちカメラとは安定感が違った
繊細画像が得られるものですよね。
そんな繊細な画像から情報を得て、
それを元に考える力を育てていく。
そこに動きの再現性を可能とする
重要な秘密が隠されているのです。
二脚でぶれた視点で眼で追いきれていない部分は意味不明で無視されるため、
ささやかにしか顔を出してはくれない重要極まりない点などはスルーします。
それは自分自身の動き方の視点でも正確性が欠けている。
それではベストな型を見つけるように練ることもできず、
いつまでたってもやり方が変わり続けて安定しません。
つまり二脚でぶれた視点でいる事自体が、
落ち着いた解析ができる画像を得られず
分析しづらい致命的な欠陥があります。
ただ私自身も、ここは未だに口ほどでもなく、大きな課題です。
アイソレーション、、、難しいです。
ただし、それでも自分でわかってきた部分があるとメリットもあります。
不思議とそのもう一本の見えない足を体感できるような体使いができるようになると、
同種の人間がわかるようになる。
そこは興味深いなと思います。
ただ自分のレベル以上のものは見えないから、
進化するに応じ見えてくる世界が変わります。
同時にそのような概念がない人の動きを不安な感じでみえてしまうようにもなります。
そこが実は施術をするときの、施術ポイントを割り出すための重要な手がかりになる。
それゆえに、お客様自身の身体操作が進化が著しく堂に入ってくると、
「おいおい、この体のどこを施術ポイントに置けばいいのかなぁ」とうれしい悲鳴が。
なんやかんやと、施術をするうちにさらなる改良点を見つけ出し、
リリースする点は見つかるものですが。
ただ重箱の隅をつつく感じになります。
そうなると、自分が進まないと置いて行かれるという危機感が生まれますね。