手のひらに石を握りしめて

催眠療法にも長けていた心理的アプローチをする者がいた。
彼の治療をするオフィスに、クライアントの男性が訪ねてきた。


身体の痛みに苦しがる。
この苦しさから逃れたい。


どうすればいいのか・・・。


心理的アプローチをする者に、
帰り際、次のような支持を受けた。


手のひらに収まるほどの石がある。これを次のセッションを受けるときまで、肌身はなさずに持っていなさい


男性は、なぜ石ころを持っていなければならないのかと理由を尋ねたが、
教えてくれるようなそぶりもない。
「まぁ、いいから持っておりなさい」
仕方がなく、いわれたように小石を持ち続けた。



次のセッションを受けるときに、
男はいいました。


「先生わかりました。
私の病は、まるでこの手に握り続け石のように、
ずっと自分が肌身離さず持ち続けていた物だったのですね


先生はそのことを伝えたかったに違いない。
そう思って、もうこの石の役割は終えたものと考えた。
そして石を机の上に置いて手放そうとする。


そのとき先生は「まだ石を手放さないでください。次のセッションまで持っていてください」という。




次のセッションのとき。


男、「先生、たまたま私が書類を書いていたとき、強い風が吹いてきたんです。
そのとき、私は思わず石を紙の上に乗せて飛ばないようにしたのです。
じゃまと思っていた石でも、役に立つものですね。」



結局は、「痛み」も「病い」も、この手に握りしめられた石のよう。



自分の意志で手放すこともできる。
手放そうとしていない自分がいる。


今までの自分は、それに気づいていないだけなのかもしれない。
自分で握りしめているものと気づいていればそれを机の上に置くこともできるのだ。
自分は痛みにもてあそばれるばかりではなく、
痛みから自由になるマスターでもあるのです。



握られた石が紙が飛ぶのを防いだように、
「痛み」も「病い」も、役に立てられる。
慢性痛や筋肉痛、それにどのような病や一部の大病さえ、
自分で握りしめたままの石のようなものだと感じている。



深く噛みしめたい示唆に富んだアドバイスのようだ。




体の痛みを感じながら暮らしている人もおられます。
その方にこのアドバイスを送るには勇気が必要です。


時間をかけて自分で気づくことが大切なのでしょう。


先生に教条的に「こういうものだ」と教えられても、
素直にその言葉を受け入れられづらいかもしれない。