【とあるボディワーク】を受けてきましての感想文 です。


最近、海外で知られている「とあるボディワーク」のセッションを受けてきました。 ^-^


どのようなボディワークかは、
身近な方にはお伝えしているものの、
ネット上ではいろいろと私が言葉足らずな説明や理解が浅い状態で誤解が生じさせることを避けたいので。
現状では【とあるボディワーク】とさせていただきますね。
どうぞ、ご了承くださいませ。




ただそちらのボディワークを知ったのは、だいぶ昔に遡ります。
私が施術を始めてしばらくしたころに(ですからそうとう昔のことです)、
渋谷のタワーレコードで洋書雑誌コーナーで「Massage Magazine」という本を毎月買いに行ってました。
当時のボディワークの情報源は、そこから!的な感じで役立ってくれていました。


そのなかにおもしろそうな施術法があるなとフィーリングが感じ取った手技療法がありました。
どのようなアプローチをするかとか、理論背景などは一切書かれていないものですが、
創始者の顔写真を見たときに、私の内側が動くようなものを感じ取ったときから意識し続けていました。
残念ながら、すでにその創始者の方はご他界なされておりますので、
今は、創始者から学んだ方々がアカデミー等の勉強する機会を作り
伝承しているような状況です。




そしてそのボディワークのセッションを、
私ははじめて受けることができたのです! ^ー^)n



施術を受けるのが実は大の苦手な私でして。
(本当に笑われるほど苦手なんです ^-^;)
ドキドキするような不安を胸に抱きつつも。


それでも謎が解けるときがきた感じがして、
単純にうれしかったですね〜。



長年に渡り、なぜ私がそちらの療法に気を惹かれていたのか?
そして、なぜ今のタイミングで受けることができるようになったのか?
その回答を与えていただけるのでしょう。


今回、仕事時間を穴を開けてもそちらのセッションを受けることを選んだほど、
切羽詰まっていました。
そちらについて私が体験をして、
関心を持っているレベルから、
もう少し先に進んで、
まずはいいファシリテーターさんと「顔見知りになる」というステップですね。 ^-^



今のタイミングを逃さずに行動をおこす必要性を感じた背景には、
私も驚くようなことが起こっていました。
今は私の施術を練って過不足ないものへとまとめ編集をする時期で、
そちらに時間を掛けたかったものの、そんなことをいってられない。



緊急性がある事態が発生したため、
なにか誰かに仕組まれたことのような気さえしてしまいました。
そのような状況の折でしたが、
幸運にも来日なさったファシリテーターさんからのセッションを受けることができたわけです。





そこで私がセッション中で体験したことを、
一個人の感想としてシェアさせてください。



そちらのセッションは、
私が日ごろしている施術とは、
様相やコンセプトがまったく異なるものです。


だから、いいんですよね。


私がいつもおこなう施術と似たものを学ぶなら、
今までの自身の施術法が顔を出して頭を白紙にはできませんから。



一昨年末から諸事情により気合を入れて研究はしてきましたが、
セッションを受けてみて想像していたものとは違っていました。


想像を裏切られました。


それはいい意味でです。


情報をかき集めていてた当初。
肉体面へのアプローチとして有効性が高いものと考えていました。



45分前後の施術時間だったと思います。





肉体への好転。
ありました!


私はできるだけ自身の呼吸に意識を向け、
10分もすると呼吸のパターンが変わりました。
脚長差の違い等、左右揃う。
骨盤の問題もありましたが、
それ以上に私が日頃施術中に膝にかける負担が半端ではないのを見て取っていただけたのか、
適切な膝へのアプローチをしていただけたおかげで大きな反応が起こりました。
それら施術に係る見立てが的確で、安心感が高く、すばらしい。


施術の際、どのような部位をどのような手さばきで施術をしていただけるのか。
自分の勉強に参考にできればと、観察をする意識を持ちつつありましたが、
うかつにも途中で勉強モードから別の次元に移行してしまいました。。。



静かなヒーリング系のBGMを流してくれています。


こちらの施術は別に誘導瞑想や催眠術を使うようなたぐいのものではなく、
施術中にプラクティショナーは、一口も口を開くことはありませんでした。


いえ、、、あったとしても、それは、
私がうつ伏せで横たわっているとき、
「仰向けになってください」の一言だけです。


ですから言葉を使ってのイメージ誘導や催眠やらなにやらは一切なしです。



それにもかかわらず。。。
セッション中に私の内面を短時間でえぐるように書き換えられました。


私は神社仏閣巡りの際に、しばらくその地で気の強い場を感じ取って、
簡易な瞑想のような状態になりインスピレーションを得ることがある。
施術上の壁に感じるものを解く鍵を得られることもしばしばあります。


めったに意識をゴリゴリと短時間に書き換えられるまではありません。
示唆的でソフトに勇気づけてくれるような印象の波が感じられるもの。


セッション中は、まるで意識は目覚めていても体が寝ている瞑想状態。
いくつもの雑念に似た映像が脳裏に描きだされては流れていく。
その映像を自身の潜在意識に敷かれたものを見つめていく感じの印象として眺めているようです。



私が受けた施術は身体的アプローチを加えたのみです。
それがいつしか効率的にこころの状態にアクセスして、
根強いこころのとらわれ部分を許しのプロセスが走る。


そこは考えもしないことでしたから、
自分の身に起きた反応が意外でした。



私の内側に雑念のように巣食っていたいくつものすっきりしない感情やバイブレーションが
具体化されたヴィジョンと形を変えて想起されては、


「まぁ、それはそれでは視点を変えて、こんな考え方をしようかな・・・」という
目的志向型の解釈へ受け取り方を変化させていく自分がいた。


セッションが終わり帰途の途中では、
気づけばそのときに現れた印象からはさっぱりと混乱や葛藤の感情が思い出せなくなっていた。
きわめて高い精神的な落ち着き感が、そのような状態でいつづけることを認めてくれているのだろうか。




「そうか、これが副交感神経のスイッチがしっかり入った状態でなされる作用なんだな」


そう思えてきたら、腑に落ちたことがある。


深い副交感神経のスイッチが入ったモードのときに思い描いたことは、
トラウマになるようなきつい緊張を生み出すようなやっかいな苦渋を浴びるようなものであったり、
または本能に根づいたような恐怖心を煽ってくるような思念が想起された情景や事件であっても。


大いなる母なる地球に抱かれているときには、起きたことからは善も悪もない。
そこから自身が何かを学び取り成長をかなえるための物語のワンシーンである。
渦潮の中で溺れそうで葛藤する取り乱した気持ちから、
一歩引いたものの見方ができてしまっていたのだろう。


私が2016年にコーチングを学んで、
問題に苦しみつづけて自分につらく当たるばかりではなく、
その事象から何を学べるかを考えようと唱え続けてきたからだろうか?
それでこの度のような、
癒やしの回路が働いたのだろうか?



ただ実際には自分の意識のモードが深い副交感神経の状態の場にいなければ、
頭で思考したレベルではものの見方(認知)を変えるのも無理があったはず。
なんだか無理やり変えていこうという無理矢理感が拭えず居心地が悪い状況。


それがこのたびのセッション中で起きたヴィジョンのなかでは
頭で計算してひねり出した回答のような印象は受けなかった。
ごくごく自然にそういった考えもあるよねと、
さらりと押し付け感など皆無な考え方の変化がおきてくれた。



過去や現在、そして未来を思い悩む感情、それに恐怖などがあれば。
こころのなかの血のめぐりのような循環が悪化してしまうのだろう。


私も少なからず、そのようなところから地に足がつかずにいるのだろう。
他の動物達のように、今を生きる実感に喜びを感じていきたいものです。
心配症だから爆発的なしあわせ感が目減りした生活を送っているようで、
このたびの内的な変化が起きることが必要だったのでしょう。


過去等の事柄への執着やわだかまりなどに足を引きづられていては、
うまくグラウンディングができない状態だったのだろう。
またはさらにグラウンディングの高みを求めていたのだろうか。。。



いままでの執着心を持った思い込みから
新たなステージに登るための昇華が起き、
体のリラックスも感じたのですが、
私にはこころの解放のほうがさらに強い。


なるほど、なるほど。


私の視野を広げる、
すばらしい発見ができました。 ^-^



今はまだ仮説でしかありませんが、
筋膜の癒着の量と
こころのわだかまりの量は、
正比例している気がします。


私はもっとも愚直なやり方で筋膜の癒着している量を減らしていくという方法を選択していたのですが、
筋膜の癒着の量が問題だというだけではなく、
筋膜の特定部位への刺激をすることから神経に情報を送り込んでいくというようなことも可能なのでしょう。


自身の体を通して体感できるまでは、
容易に鵜呑みにできるものではない概念でしたが、
実感できてみれば、なるほど。。。です。


そのような印象を受け取ることができました。



「こちらの施術を繰り返し受けることで、
精神的なつらさを感じておられる方々にも癒やされる人たちがでてくるんですよ」
とプラクティショナーさんが言っておられたことに、
はじめて「ふむ、ふむ。そりゃそうだわ」と納得へ。



このようなスキルを身につけられれば、
とてもハッピーになれることでしょう。



それはなぜかというと、、、。


現代の日本人の中で体調不良をもつ多くの人の特徴としては、
精神的な緊張が抜けず強いられて起きることも多いようです。


精神的な緊張が原因となり、
骨格筋の体を支える筋力の弱化を引き起こして体を歪めることがあります。


そんなところから慢性的な腰痛や肩こりを背負う人もいます。
こちらは緊張性筋膜炎(TMS)と呼ばれるものですね。


緊張性筋膜炎はこころが解放されると同時に、
痛みが軽減したり解消したりするものです。



こころの緊張が要因で抗重力筋のセンサーが狂うようなら、
重心取りが狂うことで上半身や体の左右どちらかに重心が移行して中心を失います。
すると肉体の安定感を失い、慢性的な肉体ダメージを蓄積させることにもなります。


心因性からくる筋緊張が緩んだ状況を経験できるとするならば、
実に多くの方々の体の歪みを是正することに寄与するはずです。


今後の研究課題として、
なんらかのヒントが得られたような手応えを感じました。
事情がありそちらの勉強をする機会は、
少し先になってしまいますが、
学ぶ機会を得られればと思っています。


私はセッションを受けたり、
本を読み解説を聴くに際し、
こちらの施術内容をまったく把握できていなかったということがわかりました。


それにもかかわらず、定期的にそちらの関連書が出れば読めもせぬ洋書を購入し、
つかず離れずで関心の火を灯し続けてきたのは、
おそらく先日のセッションを受けた時の体験をするためだったのでしょう。
いまは、そのような気がしてなりません。



いつまでも新しい学びをし続けるように、人間はできているものなのですね。