身体が疲れていると高音を身体が吸い込む?! 私のライアーによる気の補い体験

昨日、振動医学的に考察して非常に貴重な体験をさせていただきました。

「ライアー」という竪琴のような木製の弦楽器があります。
サイズはギターのボディくらい。

ワークベッドの上に私が仰向けなりうつ伏せなりとなって、そのカラダの上にライアーを乗せた状態で奏でます。

そのときの私は施術直後ということもあって疲れていました。。。



すると私のカラダの上で奏でられていたはずの音色が変わりました。
耳に届く響きが中音から低音のみに変わったのです。
高音が急に消えて聞こえなくなった。

演奏から2分もしないうちにそうなったのだと思います。
そして1分ほどこの状態がつづきました。



てっきり私は弾き方を変えたからだろうと思ったのです。
ですが演奏後に尋ねると
「弾き方は変えてないんです。それはあなたが身体が疲れていたため、高音の振動を身に取り込むようにしたためです」
とのこと。。。

振動医学について関心を持って調べてきたことはありましたが、
これほどまであからさまに、
人体が必要とする振動のエネルギーを吸収する場面は経験したことはありませんでした。

そして私の足底が微痙攣をおこし自己調整も早々に完了したころに、また普通に高音が聞こえてきた。
つまり必要な高音の振動エネルギーをある程度の必要量を身に取り込めたというサインなのでしょう。



そうしたライアーという特別な弦楽器を持ってきてくれた彼に、
「ライアーとは、癒しですか?」と問えば、
「いいえ、癒しではありません。【祈り】です」と述べています。

その【祈り】には自然への畏敬の念と深遠な自身の生き方・あり方に起因しているものでしょう。
このかたは謙虚な鍼灸師の先生ですから癒しのためライアーをもちいてますといっても不思議ではありません。
ですが俗なる損得勘定といった気持ちを拭い去っていくよう歩み続ける姿に【祈り】と語る真意をみたような気がします。



私にはこれほど明瞭に音で聞き及ぶ振動エネルギーの補充によって起きる、
耳でしっかり変化がリアルタイムに推移変動する現象は体感したことがなかった。

振動という物資の動きを気のエネルギーと称するのであれば、
音という振動も気の力そのもの。

中医学では、陰陽を「陰は物質、陽はエネルギー」という具合に分別する考えがある。

施術後に疲労した私のカラダの中は、バッテリーが上がる状態で陽のエネルギーが減ったわけで。
そのときの対処法として、
{陽のエネルギー=気}を補う行動に出るといいわけです。
たとえば、食養生としてそのときの体調に合わせた生薬で調理された薬膳をいただいたりすることもできる。
たとえば、気の循環を妨げるような体内の組織部位に改善を加えてもいいでしょう。

やり方は多数あるわけですが、
この度、経験させていただいたライアーによる気のエネルギーを補う即座に起き
耳で聞けて補充の完了もわかる驚きは大きいものといえるでしょう。




以前もこのライアーを弾いてくれた方の身体にライアーを乗せてという体験をさせていただいたことがあったのですが、
前回は今回ほど明瞭な気が補われた感覚を持つことはできませんでした。
私がわかったようなことをいうのもおこがましいのですが、
ライアーを弾く演者の力量が祈りの純粋さが満ちてきた影響からか、
彼の内側から発せられる影響の飛躍があわさってのことと感じられました。