異なった人間には異なった真理がある


異なった人間には異なった真理がある。


オスワルト・シュペングラー(ドイツ哲学者『西洋の没落』)


幸せも人それぞれ。
私が『誰もがこうなれば幸せに違いない』と考えても、
それは私の真理のお仕着せにすぎない。


人と新鮮な対面を続けたいとき、
そう考えたほうが虚飾なくつきあえるようです。


この人にはこの人の真理がある。
この人にはそれこそが真理です。


そして次のようにも言えます。


自分にも他の人と異なった真理がある。
自分は自分の真理を追い求めればいい。


ときどき他人の敷地が豪勢に見えてしまい自分の敷地と比べてしまいます。


でも人間が変われば真理も変わるのです。
互いの真理に優劣を付けることは無意味。
そうだと思います。


上述の名言は、
自分と人を比べて一喜一憂するのではなく、
『自分の真理の道をひた歩みなさいね』
というメッセージでしょう。


真理はひとつだけじゃないんだ、
と気がつき驚きました。


でもよ〜く考えてみると、
『真理』とはまさしく『考え方』のことなんでしょうね。
「考え方」が固まれば「信念」になり、
気づかないうちに「真理」へと変質してしみこむように受け入れている。


もとは真理も考え方程度でした。
よりよい考え方を選択する融通性があったはずが、
真理になるとずいぶん融通しなくなって困ります。
この融通のなさをも含めた言葉のように思えてなりません。

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余談ですが、


『異なった人間には異なった体がある』


頭の中で「この人の体のパターンはだいたいこんな感じ」と、
先入観の先走りを抑えるのに役立つ言葉でしょう。^^;
観察力の欠如から脳活性が失せていくこと多いですから。
初心を忘れかけた熟練ワーカーに訪れるトラップですね。
鮮度のない仕事を繰り返さないよう気をつけねば。