自分自身の体を信じるということ

人類は長い年月にわたり医療行為を受けなくても生き抜いてきた歴史がある。
だって現代の日本の医術はいつごろに始まったか考えてください。
江戸時代の蘭学医の杉田玄白らが『ターヘル・アナトミア』を和訳し、
安永3年(1774年)に『解体新書』として刊行するに至るわけです。


それ以前は現代医療とは異種の医療でした。


それでも立派に子孫を残してきた。
病気にかかってしまうこともあったでしょう。
でもご先祖様たちは『からだに治してもらっていた』のです。


このころは自分たちの体を理屈ぬきで信じていたことでしょう。



「信じる」とは野口三千三教授の言葉でいえば負けて、参って、待つこと。
私は野口教授のお考えで自分の体を信じている状態とは、
自然体の極致と思えてなりません。


自分の体の本来持っている潜在的にある神秘的ともいえる
免疫力以上のものはないと信じた。
神の威光で病魔を退治してくれるという考えがあったかもしれませんね。


では「信じない」とはどういうことでしょうか?
単純に「信じる」ことの反対の意味を付せば、
(負けて→負けじと戦って)
(参って→無視して)
(待つ→急いている)
というところでしょうか。


負けないということとは勝つためにケンカや戦をして葛藤している様子です。
ケンカ相手が自分自身であれば自信が消失するため不安や心配が出てくる。
それに参らないということは本来ある力を無視するということ。
待てないということどのような仕組みで事が進行していくかがわからずに
ただ闇雲に不安の感情が先走る様子です。


まさに体と向き合うときは負けるが勝ちでとことん自分の体を信じてみる。
そうして信じられないときに現れる不安や心配が声を立てないようにする。
立つときは重力に逆らおうとせずにちゃっちゃと負けて寄り添ってみる。



自分自身の体を信じている人と信じていない人を比べると、
体の改善傾向はどうなるかと考えてみてください。


過去にいろいろとご自身の体で苦しいことやつらい体験をしてきた。
そうすると自分の体が言葉が悪いですがあるお客様の口癖をいただくと
ポンコツのような体だ」と肩を落としていいます。
多くの方々が多かれ少なかれお体の問題や不満を抱えておられます。
私もハードなワークが続くとポンコツ状態にたどり着きますからね。
だから決してひとごとじゃないんです。^-^;


そのような方々の中に上述させていただきました野口教授のような
ご自身の体を信じているという人もいるのです。
体が楽なようすではありませんが体を信じて自然体に構えている。


するとどうでしょう!
私が予想していた以上の猛スピードで改善していきます。
決まってそうなるのです。


ただはじめから自然体を身に着けた人は少ない。
自分自身の体を信じぬくほどの信念を持つには、
並々ならぬ葛藤した時間があったでしょう。
自分の体を信じないような角がとがった状態を、
徐々に削り取って滑らかに均していかれたはず。 


私も体を心より信じる境地にたどり着きたい。
そこに体を理を見切る本道があるように思う。