施術の本では身につきにくい透視感覚

テーブルの上においてあるガラスでできたグラスを手にとるとき。

グラスを持つのに適した力で持とうとします。
握力が最高で50kgある人も、
力いっぱい握ろうとはしません。


割れやすいガラスを持つのだから、
力を入れすぎると割れてしまう。


だからそれにちょうどよい力に調整て握ろうとします。
それも無意識のうちに力の適量を調整しているのです。
(自分とかかわり役立つものを壊したくないのです)


ロボットなどを作ると、
ガラスを持つ適量の数値を間違えて多めに設定すれば、
持った瞬間、「パリーンッ」と割れてしまう。



ここからが本題です。


施術をはじめて学ぼうとする人がいたとします。


はじめからは施術をするときに加える圧量。
最適な力の量がみえてきませんから不安です。


不安だと慎重な人は力を弱く出し危険を避けようとします。
弱すぎて成果が低くなるものの、
事故を回避することが優先されます。


相手の身を危険をさらしているのではないか、という緊張。



これは私もいまだ手放せないものです。
初心者ならば相当なプレッシャーです。


それに人の体を触るときに、
誰もが相手に痛いっていわれない程度の適量を知っているものです。


その適量を超えないように、
脳は気をつけています。


その感覚が施術をするときにもでてしまうと、
施術を学ぶときに邪魔になることがあります。


ガラスのコップは持つところはコップの表面という見える部分ですが、
施術で解きたい部部は皮膚の奥に潜んでいる目に見えない部分です。

皮膚の部分にマッサージの方法でリリースを加える方法もあります。
そのときはその皮膚に接触をしているのですが、
接触しているところの遠方までの皮膚を意図的に動かすようにして
皮膚のしわをとるようにすることもあるのです。
ちょうどウエットスーツを着ていてしわができた部分を、
そのしわしわの横のパツパツに張っているところを引き
しわをとるような作業と同じような感じですね。

ですが関節が痛くてとか筋肉の深部がズキンと痛むとか、
そうなると患部はどうやら奥に潜んでいるようです。
こちらは見えない部分です。
皮膚をモニターしつつも、
そこを通り抜けてその奥の部分をモニターする感覚が必要。


患部状況を詳細に把握するため接触したいのです。


状態が把握できれば脳内で患部周辺をイメージをリアルに描くことができる。
そのイメージを患部にオーバーラップさせていく。
透視したヴィジョンを頼りに施術をおこないます。
施術が進むごとに透視絵がはっきりとしてきて、
より的確なアプローチができるようになります。


施術とはその積み重ねが必要な入り組んだ作業がです。


あるブログを読ませていただくと、
ロルフィング系の講習で、
このような感覚を身につけさせるよう、
教えていただけているがあるそうです。


大変すばらしいことですね。


しっかりと皮膚の下の奥が見て取れるならば、
それが最良の施術の危険行為の防止となるからです。

人は見えないとどのくらいの力をそこに投入してよいかわかりません。
調整がうまくできないのです。
ロボットにグラスを持たせるという命令をするときの設定数値がわからない。
でも物は試しと持たせてしまえという感じですと、
握力不足で落としたり、
握力過多で破壊したり。

でも人間はそのものが見えていれば、
すぐれたバイオコンピュータが支配しており、
通常は相手の身を傷つけないよう作られています。
相手を傷つければ、喧嘩になり殴られるのがオチ。
我が身を守ることにもつながりますし。
社会性を重んじる人間は、
人を傷つけずに共存するような仕組みがあるのです。


はっきり患部が透視されて見えている施術者の施術は
大きな施術事故が起きないのは
状況が見えていているため、
本能的にもやってはならないことがわかっているから。
だからお客様の体をみすみす壊すようなことはしない。


患部の透視は施術成果を増すし、
お客様も安心していられますし。


患部を透視して観ながらアプローチするという発想がないと、
表面的な部分で施術を学ぶにとどまることがあると思います。


そこらへんはなかなか施術の本から学ぶことができない部分。


そう感じます。