観て盗めとは、内部感覚も含めて取り組むよう

昨日、中目黒の方で雷やゲリラ豪雨で大変でしたが。
しっかり目黒不動尊に向かう途中に、体験しました。
目黒川が氾濫したのか、ずっとサイレンが聞こえて、
鬼気迫る感じがしました。


皆さんは、大丈夫でしたか?


体中、水浸しになりました。
他人が見てもわかるものじゃないですが、
命の次に大切な施術アイデアが書かれている貴重な手帳が水浸しに。
お札がボロボロになって使えなくなったというのなら諦めがつくが。


きびしい。きびしすぎる!



個人的なことですが、
昨日は義兄の三回忌。


親族集まってお墓参り。


池袋のハース(http://www.heart-earth.com/)という
イタリアン&フレンチレストランに勤め始めた甥っ子。
終電で毎日帰ってくるようで、目の回るような忙しさ。


バテバテです。


最初に、きつい試練で鍛えられたほうが、
あとが楽になります。


食べに行くのも可愛そうだといいましたら、
お店ごとに売上ノルマがあるとのこと。 
究極の二択です。^-^;



今は料理の下ごしらえを担当で、
味付け等などは当分の間は関われず。


いずれ看板のシェフになれるようにがんばっているようです。
ただシェフになると勤務時間が今以上に長くなってきて、
大変さが増していくといいます。
自虐的な出世のようなものです。


体力的な配分を考えると、
こちらも複雑です。


私は料理のことはわかりません。
今読んでいる本は道元の典座教訓。
道元が、中国に勉強しに訪れた際、
飯炊き老人の存在が大きな大きな
仏道修行の気付きへとつながった。


日本では飯炊きというと身分が低く考えられそうですが、
当時の中国は食事を作ることは命の行につながるとされ
高い悟りにいたる尊敬されるものが担当しておりました。


興味深い本ではありますが、
イタリアンとは別次元です。^-^;



甥っ子が務めているところのシェフからは、
「見て盗め」といわれているそうです。
立派に盗みきってほしい。


見て盗むには、
体を操作して作業するものの場合には、
適しているものと適さぬものがいます。


お菓子作りをするときにレシピに書かれている通りの
材料のグラム数を書かれているとおりにきっちり料理するのが基本です。
いい加減ではできない。


カレーライスを作るときも、
私のような料理に不慣れなものは、
ひたすらレシピを読んでその通り。
きっちり書かれている通りを実行。
すると、確実に美味しくできます。
レシピは、盗めます。
コツをつかみ精度をあげることで、
美味しくなる工夫が他を引き離す。


その手順やグラム数などはシェフから盗み放題。
みたものをノートやポケットに忍ばせた手帳に。
そこは盗めと言われたら盗みやすいところです。


ただシェフといったら、ランチやディナーでも、
お客様の来店数が多くなる時間帯があります。


そのときに味にバラつきがなく的確に調理し、
料理の品質を維持しなければなりません。
雑な動きをしては評判を落とします。
そこは理想の包丁使いを磨き、
それを精密に繰り返すことができること。
そういった正確性を要するところもあります。


その部分は、観ても盗めない人もでてきます。


動きは内部操作からうまれます。
それを感じ取れる感性が必要です。
ですが外側からしか見えていない人では、
他者の動作を、コピーできないはずです。


自分の概念の内側にあるものならいいが、
ちょっとでも奥まるような仕業となれば
いくら観て盗めと言われていたとしても。


体の基礎的な素地が追いついてなければ、
内的身体操作ができないうちに、
外的な動作だけを器用にマネる。


器用な日本人は得意です。


昔の日本人は内臓感覚を表す言葉が無尽蔵なほど多かった。
その言葉は、実際に内臓でおきていることでモニターできていたのです。
それと同時に筋感覚や大腰筋使いのよさからくる臍下丹田への重心どり。
今の日本人は、私を含め内部感覚を見失いました。


昔の日本人は、師匠の動きをミラーニューロンが内部感覚の所作含めて、
コピーできる素養があったわけです。
ですがそこが育たないなかであれば、
皮膚の外側の形状を真似るだけです。


そこが本来器用な日本人ゆえに、
外側形状だけうまく真似られる。


動きの悪癖を身につけて力んでいるし、
呼吸も浅くなるような操作感ですから。
バテる腰痛や肩こりなど職業病になる。


すると同じことをしているはずなのに、
包丁人の包丁さばきができないとか。
いつまでも名シェフとは違うとか。


達者な動きには呼吸を使い切り、
その動きと連動する内臓感覚や、
深層筋感覚が必須なのです。


そこを真似ればいいのです。


そこを始動させるスイッチをオン・オフさせます。
「仕事だ!やるぞ!」となると、オンさせるので、
集中力が効き人が変わったようになるわけですね。


施術家が武道を愛好しているのは、
施術はこの内部感覚を必要とする。
そこをつかめたかどうか確かめているのです。
ダイナミックな気づきがえられることもある。
それが施術に生きていくことになりますから。
人と対することでごまかしの利かない世界で、
投げや崩しで試していくもので、わかりよい。
表面上の身体操作では、効きが悪い。



内部感覚に目覚めてくると、
相手の体を厚みを持った距離や作用を感じ取り、
相手の深層筋の使いと自分の該当する深層筋を同期連動させて動かすイメージで操作感を確かめ、
そこもコピーして盗みます。
そこが職人の「観て盗め」。



「丁寧に」皮膚の下の、
内向的な肥沃な大地を耕し続ける。
雑では、「絶対」いけません。
そこは物を持つもの持たぬもの、
別け隔てなく。
自分を知る感動を与えてくれます。


それが料理の腕になって、
師匠超えできるのならば、
面白いじゃないですか。