体の使いようは、思いやりある「もう一人の自分」が決めています

前回にブログで
アレクサンダー・テクニーク系のボディ・マッピングの本を紹介させていただきました。



ボディ・マッピング


単にボディ・マッピングといわれても、何がなんだか、、、。
用語が専門的すぎて、馴染めなくて敬遠したいなという人がおられました。 ^-^;


確かに、確かに。


ならば、私が噛み砕いて脱線しつつ説明しましょう。


たとえば、
今までは「どこからが手か?」と質問されたときに、
肩の付け根から先が手ですと答えていたとします。
それでは自分の体の認識が甘くてマッピングミス。
運が悪く負担を強めにかけているならば、
腱鞘炎を得たり、
肩が持ち上がったり下がったりして肩こりやルーズショルダーにしようと、
気づかぬうちに自分を追い込んでいるようなものです。


手の構造は、鎖骨も手の骨ですし、肩甲骨も手の骨なのです。
つまり手を動かす際には、鎖骨や肩甲骨を活かして利用する。
だから鎖骨や肩甲骨を活かして使えるように練習して磨きをかけるならば、
故障してしまうリスクは、大幅に軽減されるものです。


たとえば股関節や膝の使い方など、骨盤の正確な認識。
その他、体の各部の認識が、正確な体の構造上からかけ離れれば離れるだけ、
故障してしまうリスクが高まるのです。



正確に人体構造を認識して使えていれば、
故障リスクが低減できるわけですよ!
思い込みで誤認した人体構造図を元にし、
それで使い倒せば故障リスクが増えます!


ざっくりと言ってしまえば、そのような話しです。



例えが適切ではないかもしれませんが、次のようなイメージです、、。


日曜大工で木工の椅子を作ろうとする。
トンカチで釘を打とうと思ったのだが、
手元になかった。
しかたがないから適当な代用品として、
手近にあったドライバーでガツンガツンと打ち付けて釘を打った。
そうとうムチャなことをしているとイメージをしてみてください。
ドライバーはネジを回す機能はしっかりしているのですが、
釘を打ち付ける想定はありませんから、
しばらくすれば強打に負けて壊れます。


そのときにドライバーに向かって
「なんて、役立たずな製品だ」と怒るのは、
ちょっとお門違いだと思いませんか?


「トンカチを買ってきてから、作業を始めたらよかったな。」と後悔するのが普通でしょう。


ただ日曜大工なんて経験したこともない方が、
トンカチの存在を知らずに、自らの思いつきで手元にたまたまあったドライバーを使って、
ガツンガツンと打ち付けてみたとします。
やがてお決まり通り、壊れて使えなくなるのです。


そのときにドライバーに向かって
「なんて、役立たずな製品だ」と怒るのです。
トンカチの存在を知っている人にしてみれば、
ちょっとむちゃくちゃなことをいう人だと思えてしまうものです。
でも当の本人は、壊れたことに対してしか問題を注目していない。


様々な状況で、その作業に適した工具を選択して使うならば、
いい製品の工具であれば相当長持ちをさせることができます。


そうであるにもかかわらず、
ドライバーのメーカーにクレームをつけたとしたならば、
慎重に理解して使うべき使い手の責任を投げ出してしまっている。
そのようにたしなめられるのです。
社会通念上、当然としてわかりきったことまで説明文をつけなければならないというなら、
メーカーは大変ですよね。


ただ自分の人体を創ったのは自力ですとは、いえません。
神様が作ってくれたというのでもいいでしょうし、
進化論的に創造されたものだといってもいい。



元来、こちらの世界では、
利用の仕方を教わる権利があるのではありません。


神様も、遺伝子も、
体の使い方や認識を修正せよとは指導もしません。
それらメーカーにクレームをつけても意味がない。


利用者がさらに賢明に生きいようと選択するなら、
利用者責任を先行させて考え、
「自分の体」というツールを、
理解しようと積極的に打って出るべきなのでしょう。


正確な体のパーツごとの認識が得られるように学び、
既存の思い込み部分を修正することが大事なのです。


身体操作を高い技術でおこなうには、
体の部分部分の機能的認識を正確に。


そこを徹底させることが先行すれば、
後々になって、気付きが増えますし、
大きな飛躍にもつながります。




また、、、体の使い方をテキスト無しに自学自習していくというのも悪くありませんね。
私は好きですよ。
そのような観察型の研究も。


ただ『誰かが先にもう開発してしまった技術を、改めて同じものを再度開発していく』
ということをすることにもなります。
根底から理解を深めたい人は、そうすべきだと私は思います。
ですが体の賢いユーザーとして要所を知りたいなら、
手間とリターンが釣り合いがとれなくなるでしょう。





ただ、蛇足として付け加えなければなりません。


「手の骨はどこから?」ということがテキストや映像から明瞭にわかったとしても、
なかなかそれを修正できない人もいます。


それは事実です。



人は、過去につらかった体験をしたことがあると、学ぶのです。


デスクワークを、スポーツを緊張しながらがんばってしていたとき。
一生懸命に姿勢を固めたり息を潜めながらチャレンジしたときに、
肉体や精神がつらい痛みや苦しみを得ます。


仕事やスポーツも、
うまくいくことばかりだとは限りませんから、
体も痛くなりますし、恥だってかきますし、
窮地に立つようなつらさだってあります。


それで勇気がくじかれる経験をするとき。


たとえばそれが、
学生時代にバイトでウエイトレスをしていて、
お盆をもつ手の使い方を教えられもしなくて、
手のひらをパーのままで広げて持っていたら。


それでは手首の機敏な動きが制限されるため、
肩を持ち上げて固定して持つようになります。


30分もすれば肩や首や腰が筋緊張がひどく、
呼吸だってしづらくなるものです。


それを数年繰り返せば、
頭のなかにある手の使い方のボディ・マッピングを修正し書き換えてみたとしても、
現実的な問題として体の中の運動神経を司る部位にまでそれが届くほどの理解は、
そう、容易いものではありません。


そこには潜在意識に、「お盆を落とさないための肩の位置はここしかないの!」
という言葉が鳴り響いているでしょう。
お盆を落としてお客様にコーヒーや食事をぶちまけて謝っている自分を観ているのかもしれない。
絶対に、店長からの信頼を失わせて失望させたくはないし、
自分自身に対して恥をかいてしまうのは嫌でしかたがない。


お読みになってわかりますように、
責任感があればあるほど自らを緊張状態に追い込んでいき、
ドツボにはまることもあります。
適度な緊張状態はいいが、過度な緊張状態は、
未来永劫といえるような「身体操作の悪癖」へ転化します。
そのようなチェックをする際には、
緊張状態では腹部での呼吸が制限がかかりますので、
そちらの様子をモニターすれば読めるときもある。


人って、他人からの評価を気にしてしまう社会的動物です。


もうひとりの「自分のなかにいる自分(あなた)」が、
いつも最悪な状態に陥らないようカバーしてくれています。


そのような精神状態は、
ほどよく肉体的な姿勢や動作に反映され続けます。


それは単純にボディ・マッピングの修正だけでは、
リセットが効かないように思います。


つまり、しっかりボディ・マッピングを学び、
これでいいのだろういった誤認した身体操作を改善を済ませた後。
それでもなかなかボディ・マッピングによる修正手続きだけでは
十分な客観的成果が現れてこないような部分があるとするならば。


もうひとりの「あなたのなかにいる、あなた」が、
活躍中かもしれません。
もうひとりのあなた自身は、
自分を守ろうと必死にかばってくれているのです。
実にけなげすぎるほどに優しい、いいやつです。


ただ、ときどきトンカチを使うべき状況下で、
ドライバーを持って釘を打ち付ける癖がある。 ^-^;
緊急避難のとっさのときに、
とりあえずの対処法として。
その後にもトンカチを見ても反応せずに、
ドライバーばかり使おうとするのですね。


ですが、、、そのもうひとりのあなたは、
いじましいほどにあなたを守りたくて必死です。
その誠実な感情に、顕在意識もありがたさを感じています。
だから人の動きや姿勢の修正は一筋縄ではいかないのです。



このように人間の動作の癖(または悪癖)を決めるものは、
過去に感じたストレスへの対処法として生じたものが少なくありません。


少なくないどころか、
そういったものの集大成で、
人体の姿勢や動作が構成されている。
私自身の自己感覚で評価すれば、
いまでも7割ほどは、
そんな悪癖でこさえられているんじゃなかろうか。
そう思えてなりません。



だから、
徹底的に身体操作を改善するためには、
次の潜在意識から自分をけなげに守ろうとするもうひとりの自分に、
やさしく感謝の言葉をかけて別れを告げるステップも必要なのです。


体という客観的に触れる見れるというハンドルのいいものから離れ、
過去に生み出されたその人のサポーターたちとの会話になります。



そこまでくると、
カウンセリング的レベルの世界に入り出すものでしょうね。 ^-^


まさに心のなかの緊張が解放されたときに、
それにともない体の姿勢や動作が改善する。



世の中にはそのようなことができるような工夫した技術もあるようです。


実に興味深いことですし、
感動的シーンの連続でしょう。


ボディワイズで行われている範疇を、大幅に外に出ているわけです。


ですが、そのようなところにまで今後の人体の姿勢や動作の改善ツールが話が及ぶことを、
期待してやみません。