施術を学び始め、努める人へ。

中谷彰宏氏の、講師の達人セミナー。
音声データをダウンロード版で購入。
50回は繰り返し聞いてきただろう。


頭に入るかどうかは別にして、
ところどころのフレーズは耳に残る。


そのなかにあった考えです。


『 積極的に発言をして前に出てみなさい。
  すると、いかに自分ができていないか、
  それを痛感するものなのだ。
  そうすると真面目なやつほどへこむ。
  でも、へこんだやつは成長するんだ。 』



そのような言葉がありました。


たとえば、
他業種から施術をしようと志したとき。
私も、そのような経験者です。


施術を学びはじめのころには、
まさにこのようなことの連続。
正直、つらい。
お客様の顔を観るのがつらい。
体力の限界も襲ってくるので。
へこみきることを、誰もが経験しています。



人の批評するときの目はあるのだが、
自分がやろうとしたら、うまくいかない。


つまり批評家は、戦地で安全地帯にいて、
火花が飛ばないところにいる余裕からか、
冷製でいられるのだ。


それで口だけは達者なことが言えるのだ。


だがいざ自分がやろうとしても、
意外なほどクォリティの低いことしかできなかった。


まったく理解が深まっていなかったことに気づくと、
愕然としてしまうのだ。
批評家と、実践者とは、理解の密度が違っている。



たとえば講師の達人セミナーに参加するのが、
実際に日頃講師をしているものもいるのです。
講師として飯を食べているのだが、
思うようなパフォーマンスができていない。
実際に、壇上に立てられて注目を浴びると、
表現者としての粗が目立ったような仕事に。


思いっきり、へこむ。


こんなことでは、講師失格だといわれるのではないか?
そんなことだって思い浮かぶのだろう。


でも、へこみきること覚悟の上、
壇上に登る勇気を振り絞るなら、
他者の仕事をとやかく述べる批評家に留まらずに、
自分で仕事を一人前にこなせるような力量がどれほどあるかがわかる。


施術をしていて思うのだが、
プロがしている仕事はたやすく見えるものだ。
それは仕事を熟知している。


すでに何度も自転車の運転をしているならば、
自動的に体が運転をこなせるようになるから。
ただ自転車の運転も学ぶときには、
人知れず花壇に突っ込んだり、
足を擦りむいたり、
必死に恐怖心と闘いながらがんばってきた。
そこに、各人の払った代償はそれぞれだが、
多くの代償を支払う必要があるのだろう。


それをくぐり抜けてきたから、
自転車の運転がラクラクできるようになった。


すると嫌な緊張をすることなく手際よく仕事がこなせるプロになれる。


その結果を観て、簡単そうに目に映る。


それをいざ、自分でしてみなければならなくなれば、
どれほどに、戸惑い苦境に立たされるものだろうか。


だから、心中、穏やかなものでいられるはずがない。


だって、キャリアもなければ、いまだにできていない。
できていない状態で、心中、穏やかにはなれないのだ。


だから緊張する、へこむことも当然のように出てくる。
できるまでは「自信などない」のが当たり前なのです。


だから、やり始めた当初は、
自信などなくていいんです!


自信があるのは「不自然」です。


どんなに自分の現状能力に合わないとか
複雑で対応困難にみえる仕事であっても、
日々の時間の過ごし方をどう工夫するか。


そこのスケジュールをどう組むか。


何を学び取る必要があるのか?(試験官や指導者がいれば根掘り葉掘り聞きまくる)
誰がその力を持っているのか?(教えてくれそうか?のリソースを発見し依頼する)
どれくらいの体力向上が必要か?(施術力は体力値に比例するものですから・・・)


それらの個別具体の、
やるべきことを過不足なくように、
自分のためのプランを立てます。
粛々と、一日それをこなします。
一日といっても、
仕事終わりなどですと、
無理しても1〜2時間。
決して多くの時間は取れませんが。


そのときには、
スケジュール上での時間内密度を、
どれだけ向上させるのかといった
集中力が大事です。




へこんだままの気持ちを、
ここに持ち込んでは足を引っ張るだけで、
集中力が削がれてしまいます。


心配は、百害あって一利なし。


すでにできているものとの比較をしても、
落ち込むばかりで利益にならないときは、
成長曲線を上向かせていく日々の実績を
どう自分で認めるかのほうが大切ですね。


他人の言うことを鵜呑みにするよりも、
自分が主体的に考えたプランを実行に移しましょう。
実際に動き出したときに、
何が必要かを見抜くセンスが更に磨きがかかります。


自分が思ったところまでのプランが100レベルだとすると、
実際にやってみて50ほどしか到達しないかもしれません。
往々にして、人は誇大なプランや目標を立てやすいのです。


そうならば日々の充実度を数値目標化して
グラフ化して見える化を試みたいものです。
『上り調子』こそが、今、あるべき姿です。


自分が自分を認められるのもココですし、
成長する快感を感じられるのもココです。


そして成長曲線は、
一定の蓄積を観て、
一気に伸びるターニングポイントを向かえられます。


そこに至るときに、
自信らしきものを、
見出すでしょうか。


でも、、、
修練によって培われた自信も行き過ぎれば毒になります。
自信を持つときに大きな事故(施術事故だけでなく対人関係上も含め)を起こしてしまいやすいので、
自信家である必要は無用だと思います。


自分が有能であるかどうかの自信とは、
優劣の対象を下に設定して比べただけ。
さらに上はいくらでも、いるものです。


いつも未熟ゆえの不測の事態を想定し、
謙虚であるほうが知恵者であると思う。


それぐらいが、ちょうど、いい。