臨場は、いろいろ使える?


本来、自分の体を自分で癒せる仕組みがあります。


自分で直せる力を発揮する、きっかけ。
それをつくりだせればいい。


最近、コーチングスクールにて、
臨場するとは」という言葉を聞きなれてきました。


いままでは本や映像で観ていても、
ひとつもしっくり来なかったもの。


それがおかげさまで少しずつ身近に感じられるような気がしてきている。



コーチング的なアイデアとは異なりますが、
「あのときのことを、ちょっと思い出して」
といわれれば、
「え〜と、そういえば、こんな風景で誰がいて・・・」
と思い出すときにその時のその場に行っている感覚を持ってみたり。


それって、過去をありありと思い出している状態ですよね。


写真撮影して、脳に焼き付けるほどの観察力を人は持つといいます。
ですが実際は過去を思い出すにも、
ほとんどの箇所は想像で補います。


その補われた虚像を探り観るわけです。


人間には想像力や空想力がありますから、
もし自分が気分の落ち着く場に座りくつろいでいるなら。


比較的容易に「脳」が、臨場する感覚を深く味わいだすでしょう。
過去や未来や空想を思い出すときに視覚野やその他多くの感覚野を刺激してくれます。


そのときにリアルな体験以上の体験を感じてしまったならば。


それも自分を癒す導く意図を持っているとしたら。。。


脳が自身を癒やす力を発揮するコンダクターをしてくれるはずです。


それはたとえば、

サイモントン療法――治癒に導くがんのイメージ療法(DO BOOKS)
のような療法を知っておられる人ならば、
わかりやすいでしょう。


本書の副題にあるように、がんをイメージで癒やそうという療法なんです、こちらは。



まえがきに、私のこころに刻まれた鮮烈な指摘があった。


ちょっとうろ覚えですいませんが、こんな感じだったと思う。。。


『 多くの人たちのがんのイメージは、「攻撃的で強力。一度かかったら、私達を苦しみ続けさせて死の淵に追いやる」というイメージを持っているだろう。

実はそのような情報は誤りで、
「がんは弱くて不安定で、混乱した細胞で。正常細胞を攻撃することなどはなくて、私達のバランスの崩れを教えてくれるもの。恵みのメッセンジャーだ」
そのように思えてきて余計な恐怖心を拭い去ることができたら・・・』



というように書かれていたのが印象的だった。


ひとつの症状を見ているにもかかわらず、
これほどまでに印象が両極端に離れたイメージを描いているんです。



私の親戚も、幾人か癌で他界した。
それを知るゆえに前者の攻撃的で始末に終えない存在だと思い描きがちで、
ついつい腫れ物に触るよう忌み嫌い恐怖を抱くような気持ちが出てきます。
やはり、本能的に怖いな・・・と身震いする気持ちになります。
がんを患われた方も施術を受けに来ていただきますが、
ただひたすらに病魔退散を願って、そこへ向けてのロードマップを描いて、
私のできることはやりつくそうと。
そうした気持ちで研究は進められるので成長はしています。
ですがやはり納得できることにならないこともあるのです。



それが実際にがん細胞を研究していく過程で、
「がんは弱くて不安定な存在」ということもわかってきました。
そこに対して、うんうん、そうだ、そうだとうなづけますから。
私もそううなづくような場面、科学番組でがんを特集しているものを見てありましたから。



サイモントン療法は、
後者のがんの弱くて不安定な存在をイメージで思い描くようイメトレをしていきます。


上に掲げた書籍にはCDが添付してあったので聞いたのです。
ですが私の感性が十分に育っていなかったのでしょうか、
深いものが動く変化を自身の内側で感じられなかった。


これくらいだったら、
一人で神社で瞑想をしていたほうが、
ずっとよいのではないだろうか。。。
そんな脱線するようなことを思ってしまったほど。


ただなんとなく、
いま、臨場するという感覚がさほど奇異なものでも特異なものでもなくて、
「あっ、この程度のものだったのね(※思い描き方が深まれば違う印象になると思いますが)」
というものでもぜんぜんOKなんですね。


そういう腑に落ちた感じを持てたときに、
サイモントン療法の本を、また図書館で借りて読もうかなと思いました。
おそらく以前、図書館で借りたときにCDを聞いたときは、
こちらからも協力的に瞑想に誘導しようとする言葉に乗っかろうという、
そんな素直な気持ちは少しもなかったんです。
なんだかこっ恥ずかしいことをいっているな、、、と、
CDの瞑想状態に誘導するメッセージを聞き流していた記憶がある。


もうちょっと自分から協力的に臨場するほどイメージを広げて聞いてみたら、
なにか特別なものがつかめるかもしれないと期待したい気持ちになりました。


さらっと「イメージすればいいのね」と済ませていたところを、
空気感を想像し具体性などを持たせて質量をともなった臨場へと協力的にイメージを育てていけば、
サイモントン療法の本質がはじめて顔を覗かしてくれるかもしれない。


そのような経験ができれば貴重な体験ですよね。
ぜひ、味わってみたい驚きです。



そして。
サイモントン療法がイメージでがんを癒やすならば、
同様にもうちょっとイメージで体質を変えてもいい。


イメージで臨場する力を作用させれば、
体の内側に眠る自身を癒やす力に火をつけられるし。


イメージ療法が功を奏することで、
病を改善させることができた人々がいるのは事実です。


脳に癒やしを生み出すイメージを与えれば、いいだけ。


それも印象的なヴィヴィッドな存在感あるメッセージ。


それによりストレスを低減させて、
ほっとする感じになれるようにしていければ変えられるのです。


「ストレスを低減させる」というイメージがキーです。




ただ私自身、施術をしているので、
脳へのストレスのかかり具合は、
第一頚椎がずれていて頸動脈が脳に血液を送る量が減少していたり、
首筋の斜角筋や胸鎖乳突筋が張りがあったり凝りがあったり、
その他いくつかの問題があれば脳への血流が阻害されるため
それは旧皮質への血流は優先するものの新皮質への血流が滞るようになる。


それでは本来、その人が感じられる存分のリラックスができていない状態と言えるでしょう。


ヴィジョンを思い描くときには脳内への血流が多くなると変化が大きくなるといわれています。


生理的には心臓から全身に流れる1/3の血液は頭部の脳へ流れるように、できています。
ですが意外に多くの人が、
頭部への血流を、頭蓋骨の縫合のズレや首や背中や頚椎一番部分で少しずつせき止めてしまわれています。


私には、それらの詰まりはないほうが、
大脳のヴィジョンを描く脳の部位にも
必要十分な血流が送れ機能できるので、
臨場しやすくなるように思います。



とすると、、、。
施術で血液量がちょっとずつ増していき、
臨場する感覚が強まってきたときならば!!


もしかすると臨場体験で体の使い方など、
ちょっと指導法に取り入れても面白いかなと思ってます。


また体の中にある強力な凝りなどや筋膜の癒着を生み出す仕組み事態にフォーカスを当てて、
そことの対話、、、。


ちょっと今のところその後者は、手続きが最適なものは思い描けないものの、
実施できれば筋膜は思いやイメージを理解してくれる性状をもつものですし、
施術の回数の低減や状態改善の上限を今まで以上に設定できるなどの面白み。


でてきそうですね!



ただ、、、そのようなポジティブなイメージの前に、
体内警報を察知する力が麻痺により弱まっているので、
そのような部分に感覚や意識を投入して臨場できれば、
圧で刺激を与える効果以外の成果が期待できるはずだ。


実はこれは昔から、「できたらいいな」と考えていた。
「できるんじゃないか」と確信めいた思いはあったが、
やり方がわかってなかったんです。


ちょっと、空想モードですが、そういったことができれば。
筋膜とは、記憶や感情をレコードする組織であって神経にも似た性状もありそうな気がしているので。


臨場してイメージを遊ばせ感情を引き金にして筋膜に語りかけていく。
そうなれば気のエネルギーも高まることで、
麻痺している部位の解除ができないだろうか。
できれば体内警報を察知する力が再生するかもしれない。


体内警報を察知する能力を、
自然に身に備えた人間の体であることが肉体的な自立の前提のひとつだと思います。



まずは私から。
自分自身の体のパーツごとに意識を向けてみます。
臨場を使ったごっこ遊び的な実験。
してみようと思っています。


やがては、これを、施術上の解説にも活かせればいいと考えています。



これができれば、肉体的アプローチ以外のやり方も手にしたことになり、
ボディワイズも新たな局面を迎えられそうですね。