中医学の最大の目的は「病気にならないようにすること」です。と、自宅内部の軽セルフリフォーム近況報告

みなさま、こんにちは。

今日、明日は雨ですね。
かなり激しく降る所もあるようです。
みなさま、お気を付けくださいね。

 

明日6月8日は、
個人的なことですが母の四十九日法要と納骨で、
寺のある千葉県香取市佐原へ行ってまいります。

これで私にもこころのなかで一区切りついて、
次に動く方向を見定められればと願ってます。

 

個人的には私が施術への情熱で
母にいつまでも心配をかけ続けてきました。
そんな私に対してともに同じ場で生活をする母。
「こころから、あなたのことを心配をしているのよ・・・」
といってくれた人がいなくなったとき。

そのつらさや口惜しさは、
半端ではないものですね。

 

消極的安楽死を迎えることになった私の母に対して。

その現実を直視しながらも、
いまも何か出来たことはあったのではないかと、
こころのなかは絶えず何かを追い求めています。

消極的安楽死は、日本では苦痛を長引かせないため、
状態回復の見込みがない場合は延命治療をせずにという判断になります。

私の母自身は、大学病院で病状を宣告されたときに、
消極的安楽死という言葉は使われていなかったので、
これからどうなるのか。
良くなることがあるのか、
最悪なことが訪れるのか、
さっぱりわからなかった。


私も、直接、母にそのようなことがらについて、
噛んで含んでわかりやすいような説明は避けて、
とにかく私ができることを必死にやり抜くしかないと。

その私の姿から、
母への感謝の思いを伝え続ける。
生の望みがあるなしというところを越えた、
思いを受け取ってほしいと考えていました。

ですが少なからず医者が母のがんに対して、
一切の処置をしていないことを知ってから、
消極的安楽死を必要とする患者であるという位置づけだと知る。


母ががんになった責任は、本人にあるもので、
大学病院の先生方が悪いわけではありません。
それはもちろんのことです。

お医者様もつらい闘病をする患者に対して、
消極的安楽死へという判断をして接することは、
並々ならぬ愛情と責任感がなければできません。


私個人の理想としては、
消極的安楽死を選択せざるを得ない重篤な身体の状態に陥る前に、
どうにかするような知識や知恵、方法がなかったものだろうか?
どうしても知りたく思えてきた。

 

その結果が中医学にようやっと学び出そうと行動を始めたことへ。

 

私は今、中医学の「黄帝内経」の簡易版や「中医学ってなんだろう」などの平易な本を読んでます。

それらのなかで語られていることがあります。


がんのような病はすぐに重篤となるものではなくて、
皮膚の表面から徐々に内部の奥まで時間をかけて段階を経て進行していくといいます。

その表面から身体の奥の臓腑まで病が進むと、
また表面に戻っていく。
その経過を繰り返し重篤となり、
容易に取り返しのつかないところまで至るといいます。

いま、中医学の診断方法の一つを学び出したときには、
「そういえば、当時の母にこれは当てはまるだろう」
と、思えてしまうようなことがいくつも出てきました。


実際に知識を得て活用していきたい人を見送ったあと、
あのときわかっておれば施術の仕方を変えていたのに。。。
という後悔の念が増す学びをするつらさ感じています。

施術家のなかには自分の身内を助けられなかったときに
その後に執念深く助ける方法を模索し続けてしまう人がいます。
そうやって学び対処力が付き始めて感じる「もしもの世界」ですね。


ですが、そもそも、、、という前提で

<strong>中医学の目的は「病気を治す」ことではなく、
一番大切な目的は「病気にならないようにすること」です。</strong>

いつも健康でいるための養生をしていく学びなのでしょう。

中医学を学び始めたら、
自分を大切な自然の一部としていたわり慈しむやさしさを、
自身の生き方の中に見出すことが根底に芽生えさせなければ虚しいものと思えてくるでしょう。

そのような気がしてなりません。


もしもの世界を述べることを許していただければ。
私も3年前から、真剣に中医学を学び始めていればよかった。

そんな思いを深めつつ、読み始めています。

仕事が始まって身体が疲れてしまいだせば、
中医学の記憶すべき内容が山のようにある分野は、
頭に入らないようになって投げてしまうしかなくなります。
だから今のタイミングで、まとめて知識を暗記していって、
後々の学習の礎を築いておきたいところです。

 

そしてゆくゆくは3年前の私に中医学基礎に関心をもたせるような内容を咀嚼して、
誰もが読んで「へーなるほど、なるほど」と言える中身のある知識を文章化してみたいですね。
そうなったときには中医学の目で臓腑や経絡、経脈などが目に飛び込んできて、
より複雑な施術上の一手が打てるようになっていくはずです。


ただし私が独習で本を読むのでは、
重要度の高い鍵が浮かび上がって見えてこなかったりします。
つまりかなり学習が実り実学となるまで遠大な時間が必要になるんですね。

脈診講座の鍼灸院の先生が、
その中医学基礎を教える講座を初学者にという機会を提供してくれているのですが、
時間的に今後、施術を再開したときに日曜日が丸々仕事休みにせねばならなくなり、
会社員のお客様がおられますので折り合いがつけられないと感じております。

 

・・------------------------------・・

 

話がかわりまして。

 

一昨日前から自宅内部のペンキ塗りをしていました。

施術を再開する前のタイミングで、
少しでも手をかけておこうと思いました。

10リットルのミルキーホワイトのペンキを買って、
ひとりで塗りまくっていてちょっとした惨状でした。
いつの間にか、
食事もせず夜中の2時までペンキを塗ることに。。。

 

ペンキ塗りをするにも
最近のペンキはペンキの臭いが弱くなったとはいえ、
ある程度の耐久性等があるものは臭いがあるのです。

あと数日すれば臭いも収まるのです。
いまはまだ、ひどくクラクラします。


<strong>自分で自分の機嫌をよくしていく</strong>には、
家の中を整理したり掃除をしてみたり、
明るくなるようにするのはいいですね!


まだまだ、
手をかけなければならないところが多く、
いくつかどうすればいいかを思案中です。


思いつめて頑固にがんばりすぎているぞと人に言われそうなほど、
まじめに仕事に対して取り組む傾向のある私なので。


費用は抑えつつおこなう自力でのリフォームですし、
やり方も手探りでほめられた仕上がりにはなりませんが。

自宅の内部を少しでもさっぱりできるよう、
工夫して時間を使うのもいい息抜きになりますね。


^-^