人体は幾何学的な法則を基にして形作られている。
世の中の組成物のほとんどのものは、
幾何学的表現が表出して眼に映っている。
何気ない日常の品々。
左右対称な動物。
雪の結晶、元素。。。。
そのなかに幾何学的な文様が刻まれる。
幾何学的なパターン、
そして繰り返されるリズム。
その法則に気づいて対象を把握する。
問題意識を持ち注意深く見つめれば、
そこかしこに法則は存在している。
人体もまさに多種多様な法則がある。
幾何学的な形状が連なっている。
あるものはこれを絵を描く素描の繰り返しで気づき、
あるものは体をよく観察する末に気づく。
人体の幾何学のパターンを把握して、
その幾何学的な配置ならばこのバランスに納まるはずとあたりをつける。
すると自分の描いた絵が見事に自然に見えてくる。
そのときに「人体は幾何学的法則を秘めているんだ」と驚く。
私は頭をガーンと殴られたような衝撃を感じた。
不気味にさえ思えた。
私はこの感触を得てからだろうか。
直感力が冴えだした。
法則を知ることでパターン認識を正確で容易なものとできる。
それ以上の成果を感じるときがある。
おそらくこの直感の大部分は、
特殊な繰り返される物や時間などの
パターン認識の延長線上を予測して出した解答だろう。
それは無意識パートで計算されはじき出される。
その答えをひらめきという。
ときとして啓示として自分以外のものから教えられたように感じてしまう。
幾何学的な(数学的な)法則と脳内の無意識レベルでの計算は、
密接に関連しているのだろう。
意識が無意識の領域のドアを開ける鍵。
幾何学性はその把握の仕方により見え方を変え化けていく。
どれが正しいか誤っているかの問題は追求しても仕方ない。
どれがその仕事に対して利用価値が高いかが問題。
だからその引き出しは多いほうがいい。
このパターンやリズムが読めるようになるとどうなるか?
□体を幾何学的に把握すれば。
体癖パターンなどもすっきり頭に入るようになる。
一を聞いて十を知ることが計算上予測できる。
よって読みが深まる。
体に対しての豊かな世界観が育ちだす。
世界観とは独自のもの。
体についてもそうだ。
それでいいと思う。