体の使い方の常習性との付き合い方

今までの動き方を手放すとき。

誰に教わるともなく立ち方を学び取り、
歩き方も身につけてきたもの。
ランナーが幾度も繰り返したフォーム。

容易に手放すことができないことに気づく。

体の使い方は、常習性と呼べるような強いプログラムが潜んでいる。
良質な動き方を机上で学んでもそのとおりに動くことは難しい。
それは以前から繰り返し行われた動き方に慣れ親しんだからだ。
その体の使い方を抑止する動き方が含む動き方や姿勢すべてに、
ある種の禁断症状を起こさせる。
以前の体の使い方を再現したくてしょうがなくなる。
気づかないうちに改良後の動きに以前の動き方が混じりこむ。

良質な動き方をしようとしたとき。
実に多くの以前の動き方が混じる。
武道などや職人さんなどで、
修行に多年を要する一因だ。

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ですがこのもどかしさを感じる状態に浸りきってはいけない。

『できない!!なぜできないんだ!』
そう思えば思うほど変わらない。
その問題にストレスを感じれば、
体の硬化につながる。

強い北風がオーバーを剥ぎ取ろうとしている。
寒いから必死にオーバーを放すまいとしている。

そのなかでオーバーを脱ぎ捨てるのは苦行。
辛いことです。

その迷宮を歩みきった末に悟ることもある。
だがそれを一般の方に求めることは難しい。

ここで視点を変えてみよう。
変革にはパラドックスがある。

人は、自分のなかに
「変わらなくてもいいすばらしい部分」
があると気づいたとき、
安心して変化を受け入れることができます。

自分のなかの変わらなくてもいいすばらしい部分を探す。
それに気づいたら変えてもいい部分が見えてくる。

「これは変えてもいいんだよな。。。」

太陽がやさしくオーバーを脱がしてくれるように。
着込んだ重いオーバーを脱ぐことができるだろう。

『自分へのやさしさ』は体の使い方の常習性を和らげます。

変革のパラドックスを受け入れれば、
狭い視野を広げる力もあるようです。

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