彼らの日常の所作振る舞い

お客様に『薔薇色のイストワール』(著者:養道希彦/出版:講談社)
という本を教えて頂きました。【YAKOさまに感謝】

ナチ占領下のパリを震撼させた舞踏家・原田弘夫の92年を記した本です。


そのなかで舞踏の奥深さ。
そして各優れた技芸や芸術に貫かれる身体操作法の重要さなど、
興味深い内容です。


身体操作方法については、
あまり具体的には描かれていません。
ただ原田がポーズを決めて写真をとられれば、
多くの写真に白い光のブレのようなものがでる。
ポーズした瞬間に舞台上の精神状態に至り、
彼よりほとばしるオーラの光でまともな写真がとれないとカメラマンが不思議がる。
優れた芸術性と精神集中をもつアーティストから発せられる独特な輝きです。


このエピソードからも、
芸術を愛するパリの人々が原田を愛したことを察することができるでしょう。

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話は少し飛びますが、
原田がパリで知り合う旧ロシア王侯貴族達のエピソードにひかれました。


過去、ロシア王侯貴族がソ連より他国へ亡命した。
200万人が亡命。
そのうちの40万人がフランス、
多くはパリに定住しました。


着の身着のままででやってきたため、
タクシーの運転手になったり、掃除婦になったり。
多くは労働者として働いたといいます。


そのロシア貴族たちが密やかに夜会『宮廷の夜会』を行っており、
原田が招待されました。
控えめな照明のマンションの一室。


『原田は、一瞬、目眩を感じた。
人々の振り返り方が、あまりにも美しかったからだ。
年齢もまちまちの男女が、
静かにこちらに顔を向けた、その何気ないしぐさが、
まるで舞踏のようだ。
やさしく、穏やかな視線を投げながらこちらを見つめる姿は、
この人たちの身体運用術の高度さを示していた。


一幅の宮廷絵画のようだ!
原田は目眩に耐えながら、陶然とその美しい絵を見つめた。』


なんという感動的な情景でしょう!


ただ振り返る。
それだけで相手を陶酔させてしまう。
それも名代のアーティストとしてフランスで勲章を得た原田を。


日常生活の所作振る舞い。
優雅かつ高度な身体運用術が息づいている。
『日常生活に』という意味をかみしめてみます。


私は日舞の先生で舞台上では腰がしゃんとしているが、
平素は腰が曲がっている方を見知ったことがある。
習い事のレッスンをするときにだけ、
姿勢を注意する方もおられます。
『特別のとき』時間を区切って気を配る。


シェークスピアハムレット』の一節。
「習慣という怪物は、
悪い行いに対する感覚を食いつくし増すが、
その反面、天使でもある。
この次には我慢するのがいくらか楽になり、
次にはもっと楽になる。
習慣は我々の天性すら変えられる。」


日常生活で習慣化された動きの質は、
その方の身体運用の多くを決めると思います。
そして高度な身体運用術は体の神経一本一本に入り込むものです。<高度な身体運用術と一体化>した『宮廷の夜会』に集う男女。


何気ない動きに動きの品や質、
美しさが漂う。
高度な身体運用術には体全身が、
無理や無駄やムラがなく優雅に動く。
筋肉の一部を過労させない。
理想的な動く様子は美しい。
姿勢は縮こまることはない。
ゆがむこともない。
背筋が活きている。


滞りを知らない肉体は、
それに見合う心の豊かさとともにあるだろう。
自分の心の豊かさは他のものに接するときの礼節として働く。
自分の体に確かな『誇り』を感じていることも伺える。


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僕は『宮廷の夜会』に集う人々のように、
自分も少しでも近づきたい。


僕が求めたいものは、
彼らのような日常に根付いた身体運用術。
だから『ボディワーク屋さん』にこだわります。
身体運用術をベースにして話をしたいのです。
治療屋さんではなく。
ただ体のゆがみや症状があれば、
身体運用術と向き合う気にもなれません。
だから手技のワークは「カンフル剤ですよ」といいます。
自分の体を慈しみ身体運用術に関心を寄せて長けてきたとき。
ここに『宮廷の夜会』に集える人々が一人、
増えたことになります。


それが理想です。