学校教育現場について


少し前に大阪府知事になられた橋本知事が教育現場を視察して、
以前に持論展開していた教育論が机上のもので現場を知らなかったと
公的な場で発言をしていた。
印象的だ。


学校の先生方が多忙極まりなくなっている現状は、
マスコミでも取り上げられ少しずつ知られるようになってきた。


先日テレビで学校の先生が働く実情を伝えていた。


東京都で働く公立学校の先生方が犬山(違ってたらごめんなさいm__m;)という地方で働く先生方の学校生活状況をビデオ映像を観て感想を述べるというものでした。


一地方の犬山の先生方は多忙な教師生活の中ですが、
『生徒たちに向き合い直接つながる仕事』ができる。
犬山の教育を支えるトップの方の裁量がすごい。
教育委員会などから依頼されるアンケート要請や
過ぎたる報告書提出などを棚上げさせている。
教師が教育意欲をそがせるような過ぎた親御さんのクレームをもみ消す。


また東京都で採用されている
先生方が自分でなにをするか目標を掲げさせてそれをもとに加点・減点する。
減点は周りからの評価でもおこなわれるシステムで
減点されればさまざまな不利益を被ることとなる。
このような一部の企業が採用する人事考課制度は、
従業員の勤務態度や仕事への貢献、
さらには能力向上を公正かつ適切に評価し、
昇格や昇給など処遇に結びつけ、
従業員のモラールを高く維持するために作られた評価の仕組みのこと。
教育の現場では先輩の先生が後輩を指導したり、
先生方どうしが情報を共有してことにあたらなければならない。
企業では減点されるようなことでも互いの先生方が語らいフォローする。
そうして成長していく場があったのにその根を考課制度が摘んでしまう。
だからそのような制度も採用しない。


それにより他県で働く先生方よりも
のびのびと充実感がもてる仕事をしている様子でした。


どこかできいたことわざなのです。



『世界一偉い王が立つ場よりも、
王心を持つものが立つ場のほうが尊い

といいます。


なにひとつものを持たないものでも、
王の心といえるほど目覚めたものは遥かに尊い場をもたらします。


国家権力を持つ直属の機関のほうが権力はあります。
権力を行使することはその地位に立てばできます。
ですが王の権力は王の心といえる深慮ができるものに与えるべき。
そう痛感いたしました。


そうしていただかなければ
私はすごくつらくなります。


おそらくこの犬山の教育制度の裁量権を持つ方には
権力上層部からの多くの心をつらくさせるほどの非難や
ペナルティの矢面に立たされていることでしょう。
ですがそんな悲壮感は微塵も感じさせない。
「教育っていうのは他の企業経営とは別物なんだよ」と熟慮で押していく。


いったい犬山の裁量権を持つ方は、
どのような経験を通しいまの信念を貫けるようになったのだろうか?
管理された社会にそむけば上にあがれない仕組みが創られてきた。
ですがなぜこの人物が教育現場の裁量権を持てたのだろう。
その経緯に興味を持ちました。