体験したことないものは、
やってみなきゃわからない。
「スウェーデン式アイデアブック2」という、
子供の視線を通して大人の凝り固まった頭を
ぶんぶんと振りまわす絵本があります。
その本のなかにひとつのエピソードが紹介されてます。
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大人が5歳のカミラに、
「カミラ、ピアノ弾ける?」
と聞きました。
「弾いてみたことないからわかんないわ」
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大人だったらピアノを弾いたことがない人だったら、
「弾けない」と即答するでしょうね。
ですが子供は自分が弾けないなんて考えてません。
この「弾いてみたことないからわかんない」という答えには
「弾いてみればわたしにだって弾けるはずよ」という
かわいい自信が聞こえてきそうです。
大人は自分ができることとできないことを判別する癖がついて、
自分に可能なことと思えたことだけをするようになります。
それが過ぎれば自分がしたいことも少し困難があるだけで
不可能と決め付けて遠ざかろうとします。
子供には「やってみなければわからない」という寛大な取り組み姿勢がある。
大人は「いえいえ私など滅相もありません」とへりくだり逃げることもある。
薄汚れた汚点のひとつもない子供の屈託のなさは、
私たち大人の目からうろこをはがしてくれるでしょう。
なので、
このページのタイトルが「やってみなきゃわからない」で、
副題は「“できる・できない”で聞くのは野暮」。
きっと
「カミラ、ピアノ弾ける?」
じゃなくて、
「カミラ、ピアノ弾いてみたい?」
といった感じで微笑んでみるのがいいんでしょう。
たとえば私がワークで体の使い方をお伝えるとき。
頭の中で何をどう伝えるのか
アウトラインを決めてます。
ただ実際に伝えようとするときに、
どのような言葉を選べば伝わるか、
ボキャブラリーに詰まり苦労する。
けっこうしどろもどろになるし。^-^;
お客様のお体の状況を見て、
体に合わせ本日のステップはこんな感じへ、
というようにお伝えすることが多いのです。
施術でこのステップをこなせるようにする
コンディショニングをも含めていますので。
その仕込があるため説明されることが、
体に伝わりやすくなっているのですね。
これは一対一で伝えなければできない。
そのとき「“できる・できない”で聞くのは野暮」。
どう野暮にならない言葉を選ぶか。
それって私にとり大きな課題です。