『感謝できてうれしい』

朝日新聞に投書が寄せられた。
1988年のことだから掲載された文章の要約です。


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中高生の多感な若い子供たち10人ほどを
アメリカのワシントンへ連れていった。
アメリカ・ワシントンで2週間のホームステイ。
ホームステイ先の家族は快く無償ボランティアで受け入れてくれた。
言葉のわからない子供たちをもてなしは大変だったろう。


子供たちのちょっとしたエピソード。


バスに乗り市内観光をさせてもらった。
そのときバスのガイドさんが
『今日は熱いから』といい、
自腹で子供たちにコーラを差し出してくれた。


引率の大人は『バスを降りるときにお礼を言おうね』と促した。
だが子供たちは誰も礼など忘れている。


そして日本帰国当日。
ホームステイ先の両親は、
『君たちはアメリカにも家ができたのだよ。
またいつでもおいで』。
ぽろぽろと涙をこぼしながらそう言葉をかけた。


だが子供たちは
『なんで、あの人たちは泣いているの?』と、
不思議そうな顔。


子供たちは大人から与えられることを
あたりまえとして育った。
大人から何かをしてもらうことへの、
感受性をなくしてしまったのだろうか。


『大人から与えられることをあたりまえとして育っている』
そしていつしか、
『人から与えられることをあたりまえ』と考えるようになっていきました。


大切なものをなくしたことに気づかされました。
『感謝』の気持ちです。


ホームステイ先の両親への感謝があれば、
不思議そうに涙をながす姿を見つめたりはしませんよね。
無償ボランティアで日本の子供たちを快く受け入れてくれた方々です。
心から歓迎していたはずです。


これほど印象的な温かい涙の意味を感じ取れなければ、
どのようなことに感謝をすることができるのでしょう。


感謝する気持ちがわいてこない子供たち。


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これは17年前のコラムです。


バブル経済の最中。
当時の子供たちは特別です。
(でも今も脈々と『特別』は続いているかもしれませんが...)




大人から与えられることに慣れてしまえば、
感謝する心の芽が育ちづらくなります。


与えてもらえなくても当然です。
それなのに与えていただいたからありがたいのです。
もしも与えてもらえなかったら、
ひどい事をされたと恨みに思う。
それでは感謝の気持ちは育ちません。


気づかないうちに環境がそうなっている。
それに慣れてしまう恐ろしさがあります。


与えられることに慣れてはいけません。
「ありがとうございました」とお礼をいうときに、
感謝の気持ちがわかなくなってきます。
そう伝えられなくなります。


プロならばがんばって当然と思うべきときに、
「なんでそこまでやんなきゃならないの?」
と怪訝そうな顔つきになります。


つらいことがあれば不平不満がでてきます。
そうするともっと心がつらくなるのです。
【注:つらさに限度がありますから、
そこは大人の判断をしてくださいね。^^1】


『お金をいただく感謝』が身についていれば。
「あぁ、これで俺は生活ができる。ありがたい」
と思えば少々のつらさでは負けません。


心も晴れてきます。


感謝の気持ちが自分を救うことがあるのです。
ましてや自分が望んだ職業ならば当然のこと。


感謝の量だけ幸せをかみしめられる。
心が満たされて豊かになるのです。

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感謝の言葉を口にして幸せをかみしめている方ほど、
体の免疫力が増加して健康を維持し促進する力が強い。


心を明るさで満たす術を持つ人ほど、
体を健やかに導ける才能があります。


『感謝できてうれしい』


その感情を豊かに育てていくことで、
確実に体にもよい影響が現れて来る。
ときとして私が驚くほどの成果です。


感謝の気持ちが自分の肉体に持てたとき、
変化が加速的に訪れたこともありました。


心と体はつながっているんだな。。。


そのことを私はお客様から教えていただきました。