人を尊敬する意義。

人を尊敬する意義。

のだめカンタービレ」というテレビドラマになった作品があります。
観た方じゃないと説明が通りにくいと思うのですが、
観ていない方はごめんなさい。

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竹中直人がシュトレーゼマンという大御所の指揮者役。
彼が立ち上げた桃ヶ丘音楽大学の新たなオーケストラ。
指揮の初日、
シュトレーゼマンはのだめにセクハラをしようとして、
手痛く顔面パンチを受けて気絶。
シュトレーゼマンの変わり千秋が指揮を振ることに。


そのときに千秋からすればダメダメな演奏しかできないオケメンバーばかり。
どなりつけながら指揮を振るう。
オケは異音をかなでついには指揮者に嫌がらせまで。


そのときシュトレーゼマンが「千秋、失格です!」と宣告。
変わりに指揮台に立つ。
オケ・メンバーの一人ずつ観察して的確なアドバイスを与えていく。
緊張が和らげられ千秋が指揮で指導したままで弾いてみてといい
指揮棒を振るう。
そのときオケの音は先ほどの異音とは異なる、
音が奏でられていた。

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という印象的なシーンがあります。


自分よりずっと勉強していないし
キャリアもないオケメンバー。
そのようなものたちに千秋は敬意を払うことができなかった。
「おい、そこの!」と罵声を浴びせかけ強い口調で注意をして萎縮させた。
意図せずにも反感を煽ってしまっていた。


千秋が得た結果は、
不快な異音やら嫌がらせだった。


シュトレーゼマンは、
人を尊敬し敬意を払うことが自分に帰ってくることだと知っていた。
だから「そこのお嬢さん」とか「そこのきみ、鼻をかんでね」と
細やかな神経を使い優しい言葉で語りかけていた。


シュトレーゼマンが得た結果は、
彼が傾けた敬意と愛情に比例したものだった。
シュトレーゼマンのアドバイスならばオケは素直に従うだろう。


千秋以上に音楽の技術に優れ経験あるシュトレーゼマンならば、
オケメンバーの実力のなさに頭を抱えることもできたはずだ。
だがそうすることはなく、
さっきまで異音で不快だったオケを生まれ変わるほどの音に。


つまり人を尊敬するというのは、
尊敬に値する人だから尊敬すればいいのでもない。


尊敬すべき人を尊敬できるのはあたりまえの話。
なんの芸もない。


尊敬や敬愛には別の意義が含まれていることを忘れてはならないのです。




なんでこんなことを申すかというと。
医師や施術者のなかにも
「千秋タイプ」と「シュトレーゼマンタイプ」に分かれていると思うから。


千秋タイプで頭ごなしにされると、
病に傷ついた精神は萎縮するから
余計に体調が厳しいことになる。
通院でさらに心まで傷つけられることもある。


シュトレーゼマンタイプで接せられれば、
病に苦しむ心も解放へ向かうでしょう。
うちの隣が病院でそこから聞こえる医師の患者に対する声は、
まさにシュトレーゼマンタイプ。
暖かさと思いやりで勇気付けられるでしょう。
その先生が患者にぞんざいな言葉遣いをしたことは、
ただの一度も聞こえてきたことはない。
私はお世辞は言わないタイプなのでほんとにそうです。


高い医療技術や施術技術があっても、
偉そうな態度は絶対になりません。
職業人ならば技術力を磨いて当たり前です。


人生で陰徳を積みたいなら
そう考えるのもよいでしょうね。