施術をするものは”慢心”すると危険です。

たとえばすばらしい施術の技術を得たとき。
自身の対応力が増したことになります。


そのようなときに
「自分はがんばって力がついてきたから、
これしきのことはやってのけられるはず」


リスクの度合いが低いときならいいです。
リスクが低い分だけ問題発生時の問題も小さいから容易に補正できます。


ただリスクの度合いがたかいときが問題。
慢心しているときには、
挑戦意欲がわいてくる以上に
「自分にできないわけがない」と考えてしまう。


通常は、
自分の行ってきた臨床例を想起し、
自分の手持ちの技術を列挙します。
どう対応しようかと計算できます。


その上で「自分に対応できるかどうか」を判断します。


慢心しているときは、
自分の日頃かかわっていない難易度とリスクの高い
イレギュラーなことに手を出して失敗することがある。


どれほどのことができどれほどまでは困難か判断する。
その境目が甘くしか考慮できなくなるときがあります。


気をつけねばならないときです。


後から考えればなぜこのようなことをしたか理解できない
愚行を犯して取り返しのつかないことをしでかすからです。


がんばってきて実力がついてきたときこそ、
判断をするとき慎重でなければなりません。


技術力が向上するほど人体に与える影響は大きくなります。
それだけ成功するときの成果も大きくなるのですが、
反面では失敗するときの被害も大きくなるものです。


安全性を考慮して技術を磨くため施術をするときの、
技術的なリスクはその時点で低下させることができます。


ただ慢心すると技術力以前に初歩的なミスを犯すのです。


ここが恐ろしい!!



慢心しているときは、
自分が慢心していると気づいていないから。
大事がおきて初めてその慢心に気づきます。
その前に気づけるかどうかがポイントです。


慢心すると偉い気になり肩が張り息苦しく、
謙虚で低姿勢になると肩が降りて息が腹に。
対人関係でも差が出ますよね。


施術家が慢心しているか傍目から見分けるのは難しいものです。
自信ありそうに語るほうが施術家の力量があると一般の方には
受け取られるのが通常でしょう。
ただ謙虚な姿勢をもつ先生は得てして慎重でバランス力がいい。
自分がどのような力を持っているかの立ち位置を把握できてる。
そのためアドバイスや説明を伺えば印象がいいように思えます。