でくのぼうと呼ばれる程度でも、人前に出てもいいと割り切るのが強さ

昨日、イレギュラー的な施術をさせていただきました。


そのときにいろいろと私自身の今後に参考になることを聞かせていただきました。



それで今後の私のとるべき表現方法とは、
自分らしさでいくべきだと痛感しました。


3月になって、
少しずつボディワーカーの夢とお仕事程度のことを映像化し
映像なれするように考えていてシナリオを書いていました。
そのシナリオの人に知識を伝える姿勢について考えました。
そして、書いたファイルを、みんな消してやり直しにした。



ちょっと作った形で、
演技をするような風にしよと考えていました。
演技をしてキャラクターを造りましたほうが、
やりやすいと思いましたので。


大幅にいつもの自分ではないようにしました。


いろいろと難しそうなことを書き連ねました。
賢い先生に見えるようにして、
武装をしようという魂胆です。


でもそれが、書き終えたものを観ると違和感。


内容は我ながら立派な感じがしましたが、
自分が人と横のつながりを持ちたいのに
縦のつながりを持とうとしているのかも。


そんなつもりではないのだが。
このまま進めば、苦しくなる。


そこで悩んでました。



結局は先生になるつもりでいたことを辞めてしまい、
ぼんくらな私のままがよいと思う。
そうであるほうが謙虚でいられる。
気楽にもいられる。


そう考えると、
ふっと肩の力が抜ける思いでした。


そんな感じで、まずは始めようかなと。
リライトです。^-^;


        1. +

施術の技術が素晴らしいからいいというものでもない。


偉ぶるような施術家は、
私は尊敬できない。
好きになれない。


そんな輩に習うなら、
そのもの以上のものを、
私は独自に開発します。


選択と集中で力を配分させれば、
誰でも偉業は成し遂げられます。
基本そう考えることにしてます。


そう強く考えさせられる経験を
したことがあります。



もう10年以上前、
小規模施術の勉強会がありました。



会場と言うよりメンバーの自宅で、
上に立つ指導役の先生が、
頭ごなしで初学者をケチョンケチョンにする。
知識を教えてもらうためにはある程度は仕方ない、
そう思ってその様子をしばらく我慢していました。



私はほとんど怒ることはないのですが。



だが、
途中で私は切れて
眼鏡を外し一喝し、
その先生のなってないところを指摘し、
横取りしリリースしたことがあります。



凍りついた雰囲気。
その先生が偉そうに述べていたことを、
ちゃっちゃか解き、ほーら簡単に解けた。
「私はあなたがそんな程度のことしか教えないんなら、
ここにいる必要はないですよね」
といってその場をあとにしました。
若かったです。




実際のところ、
ある程度の眼力があれば、
そのものの素養は触覚的感覚でわかります。


自分の人に見せないような手の内という秘密。
そういったものを熟成させようとするものは
こだわりとセンスの良さを感じます。


本当にこの人は只者じゃないとなれば
さすがに私もこんなことはできません。


その先生が施術で知悉な点をひとつあげますと、
施術をするときの圧のかけ方がぶれてるのです。
3次元的な視野(立体空間把握能力)が欠けている。
知識はあれど術は入らぬという状態ですよね。


自分が創りだした技術ではないため、
基礎がぬかるんでいるので弱いです。


それは圧をかけるものならば、
どの方向に、どれくらいの強さ、どれくらいの透過圧か、
その他いくつものことを考慮するのは普通ですよね。


ただし難しいことは、
たとえばがん細胞の一点を焼ききるために二方向からレーザーを照射して、
その交点のがん細胞部分をを焼ききるようなことをします。


要は、私たちはそれと同じ事をしないといけないのです。


圧をかけるとことは。
または鍼灸師の先生が鍼をうつときも同じですよね。


体の上下左右前後に微妙なブレがあるならば、
もうその時点で目的の成果は得られずじまい。
ピンポイントを狙う必要があるときは、
まさに台無しです。


もし目的が明瞭でなければ、
台無しになったかどうかも
あまり気づかないでしょう。



台無しにさせないためには動いてしまう人体の動きを固定させること。
またはその動きを読み込んで次の圧をかけるときの位置を予測しておけること。
そして正確に自分の体を垂直や水平をとれて、
体運びをするときの陰陽の筋の使いができる。


それにそぐっていなければ、
溶けるものも解けません。


その身法は難しいことです。
私も今も悩み作りこんでる最中です。


でもその難しさを痛感する、
そして自分の体の利かなさに嫌気を何度もさして、
それから自分の体の使いようを真剣に学ぶことも
大切なことなんだと思い知ったものはいいですね。





たいてい、そこまで考えられる先生は、
センスもよく性格も謙虚でぶれがない。



そういう方々は、
人を頭ごなしにはしないものです。




冷静に自分に厳しく他人にも厳しく。


人が成長していく姿を、
喜んでいるんですよね。


自分も成長したいんだから、
他人も成長したいはずだと。


一貫している職人さんです。
好きだなぁ、そういう人は。



そのような方は厳しさの中にも、
もうちょっと言葉を選びますね。




私は勝手に、そう考えています。




日頃、自己反省と成長をしてのびる人は、
他人の施術の様子を見た瞬間皮膚感覚で、
「この人、いいね」とか、
「こいつには私の体はさわらせてなるものか!」のようなことを感じる。


自分のレベルの高さによってですが、
明瞭に見えています。


それを口にだすかどうかは大人なので、
余程のことがなければ黙って見ている。



人の施術には、
悪いところばかりではなく、
良いところもありますから、
そちらに意識を集中させて学べばいいのです。



ただ、このようなことが感じられるようになるのは、
ある程度のスタートを切り進み、
走ってきたものだからでしょう。
それも相応の質の良い仕込みが
できていなければならない。



なので施術に関して初学者は、
このような頭ごなしにはどう対処すべきかわからない。
真剣に学ぶことを希望するものであればあるほど、
あまりにもつらいことになります。


もし仮に、その先生が世界一、
ハイレベルな技術を持っていたとして。
どのようなすばらしい技術があっても、
神様ではないのです。


技術なんていうものは、
オリンピックの記録のようなもので、
更新がつきものです。


後進が更に素晴らしき技術を生み出せば、
そのときに技術を誇っていたものは負け。


盤石なオールマイティな技など、
私は今まで見たことが無いです。
どのような技術も、
すべて一長一短の上にあるもの。
一短があることを認めてこその
他で広く知識を得て補完しよう。
そこで完成ををあげていきます。



そのようなことまでを
冷静に見つめる判断力。
恥を欠かないためには、
持っておくと良いもの。


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思いもよらずそのようなことを、
昨日は思い至らせてくれました。


聡明で素敵なMさんに、
感謝しております。m__m