組織記憶へのとりとめのない考えですので、読まなくてもいいかも ^

昨日、神田神保町三省堂書店で頭蓋仙骨療法や体性感情解放法などで知られるオステオパシーの巨星、
故アプレジャー博士の著書『インナーフィジシャン』を立ち読み。 
ほしいなと思いましたが、今日は、秋葉原で少しだけ買い物をし、
DVDメディア等の荷物にもなりましたのでいずれまたとして。 


『インナーフィジシャン』
ジョン・E・アプレジャー著/科学新聞社出版局監修/\3,570(税込価格)
http://option.actmail.net/~ac-scinew/shop/goods.cgi?mode=one&id=9925&key=
アプレジャー博士ファンは、絶対に買うしかないという感じの本です。^-^)



本書のページをめくると<組織記憶>という言葉が出てきた。


私はこの本がでる前に『もうひとりのあなた』という本がありまして、
そちらでは<組織メモリー>という言葉に訳されてた。
訳の言葉が変わると印象が変わるものだと思いました。



組織記憶という概念は面白い。


最近のビジネスシーンでは、
情報が経営資源となり組織運営をする上で、
メンバーそれぞれのコンセンサスをとっていくために、
ネット上で情報の共有をしていこうかということですよね。
組織内情報の共有を行うことで、
情報の漏れやダブリが起きないようにする。
そうすることで必要な情報のかけている点も見えるし、
誰かが得ている技術や情報を新たにまた再度頒布しして研究する必要もなくなる。


そのようなスタンスでしょうか。


私見ですが、
体の隅々のすべての組織は、
ものごとを記憶する媒体となると思います。


人は大方が、自然界にあるものを模倣して、
それを人工的なものへと落としこんで利用。
そんな流れを通っているものも多いもので、
人間の技術的な進化の成果物を観ることで、
人間の内部的な仕組みと当てはめることも。


そうやってみて、
模索していくことで、
様々なヒントを得られることは経験上体験しているものです。


パソコンでは記憶媒体というと、
先ほど買ったDVDに記録したり、
USBメモリーやハードディスク、
様々な記憶用の媒体がありますが。



神経組織は、脳を筆頭にして記憶する組織。
脳を損傷すると過去の記憶を思い出せなくなることもある。
だから、これはどなたでも、それはそうだよねと思えます。
それに体の情報のすべてが末梢神経づたいに脳に集まって、
短期記憶から、必要となれば長期記憶へ脳に定着していく。


脳と末梢神経.png





だが、ここからは想像になるのだが、
細胞一つ一つ、それらはすべて高度かどうかは解らないが
情報を記憶して処理して活動するための能力を備えている。


そのように考えることができないだろうか?



体の中の各組織がメモリー媒体を備えているということは、
こちらのほうがより複雑な理解が必要そうなので、
どこかに置いておくこととしまして。。。



たとえば、アメーバーとかゾウリムシとか。
小学校時代に池で捕獲して顕微鏡観察した世界。


そういた単細胞生物も、
獲物を得ようと頑張って捕食をするし、
危険があれば逃げるようにしています。
学習能力だってあるんじゃなかろうか?


ゾウリムシとか.png


生きるって、アグレッシブなんですね。


受け身ばかりでどうにかなるようなものではなく、
必死に戦略を打ち立てて生き残り子孫を残すもの。


私達の体の中の細胞組織。
たくさんあるものだろう。


それらすべてがひとつずつ
情報を記録することができるとする。



それもちょっと気の利いたところまでできる。


病院で夜勤したお医者さんが夜あったことを日勤のお医者さんに情報を引き継ぐようなことをする。
どこそこのベットの患者様が、夜中3時ころに徘徊していましたとかなんとか。


おそらくそれと同じような情報の引き継ぎのようなこともしているはず。
死に行く細胞が生まれる細胞に対して、
情報の引き継ぎをしている気がします。


たとえば体性感情解放法というアプレジャー博士の、
トラウマ的な感情をリリースするテクニックですと、
後々までその体内に刻み込まれた記憶の働きに支配されて、
体調不良に陥る状態から抜け出すようなものがございます。



「光のベクトルの並びを正す」のような、
もう、一般人ではなんじゃそれという世界です。
正直、私も、ここまでいきますとどう扱えばいいのやら。 ^-^;
かなり苦慮するところですが、
世界には、こういったこともなさられる先生方もいると思えば励みになります。
といった内容です。



そのような作業の様子を見ていれば
「そうかぁ、ひょっとすると。
体の歪みというものも、体のパーツを細分化してとらえれば、
ひとつずつの細胞が歪みをよしとするような感情を受け入れていると仮定することはできるのか?」
などといったような、飛躍した考え方をすることもできる。



つまり体の状態は脳というものによって大部分がコントロールされる仕組みであるのは確かですが、
ちょっとしたクセのようなものは、そこの部位にある組織が状態を記憶していてそれを引き継ぐ。



たとえば、思うのです。



やけどをした皮膚がただれた箇所があって、
どうも、気になって仕方がない。


人体の隅々の細胞が1年もかかれば前部取り替えられるならば、
いい感じの綺麗で引き連れもない状態になって取り替えてと願うのは私だけでしょうか。


体を再生するときに、一旦は古い組織を壊すんだから、
まったく新しい組織を新しい部材で創りだして置き換えるのです。
「だったら、きれいなものにしといてよね!」
という、魂の叫びです。



もしもそのような組織記憶の情報に書き込まれた情報の取り扱いに、
注意を払えるような何かがあればいいのでしょうね。


それによりトラウマ的な感情をリセットする技術(これは体性感情解放法か)や、
または不要な情報になっているにもかかわらず必要だと信じる誤認による誤作動タイプや、
または自然直伝ではこれがベストだという本能の赴くままの情報が隠れて取り繕われた混乱状態や。


そういったものから抜け出すようなことができるテクニックがあれば面白いのだろう。



私らしい視点では、
単純に他者から施術を受けるだけで
そのようなことが得られるものでは
あって欲しくはないと思う次第でした。



記憶のすべては因果の法則に則っているのですから、
おそらくそれには無心に至り執着を拭う心と体も大切だろうし、
それだけでは足りず、志をもって命を全生するフロー感覚にて、
強く光り輝くようになることもポイントになるのかもしれない。
その他、思いつくことをとりとめなく、、、。



そのようなことを、
昨日は神田明神の裏手の末社エリアで、
月を見ながら数時間考えこんでました。
メモで思いつくままを書きなぐりつつ。
かなり寒くて、風邪を引きそうでした。
ただ、ここで考えるとひらめきが違う。。。かもしれない。



やっぱり『インナーフィジシャン』は、
衝動買いしてもよかったのだろうか?