神様がシンプルに創った人体を、人が複雑に作り変えてゆく

神様がシンプルに創った人体を、人が複雑に作り変えてゆくものだ。


イネイト」という、
人間の自然治癒を誘発する際にも効いてくるアイデアの一端となる。


わざわざ調子のいいスーパーマンのような肉体を与えられたのだが、
混乱させていくような状態に、人が書き換えてしまっているのです。


いきなり複雑な状態に至るわけではなく、
徐々に複雑化の根が奥まで入り込むもの。


そこからリバースするにはどうすればいいのか?


そのような方法のひとつが、
合気柔術の稽古会でしょう。




昨日は合気柔術の稽古会に参加


私の友達の伊藤さんが主催の、彼の甥っ子のひとりに
近い将来、介護系の大学に進みたいというしっかりした高校生に贈る、
今から体術的な英才教育をさせるため主催された特別な稽古会でした。
それにちゃっかり私がおじゃまさせていただいた形です。



人体を達者に操るには、
その人体の構造(ストラクチャー)をとらえる。
頭で捉えてもいいし、感覚を研ぎ澄ませていくのもいい。


それは必須ですが、だけでは十分ではない。
そのようなことを、毎回教えられるのが
日本伝合気柔術 岡本眞師範の興味の尽きない稽古会です。



たとえば、
進化の過程で得られた体の使い方の習性が、操作のクセを産む。


発展していって『固定して作業するクセ』を理解して、
他者の動作を読んだり自分の未熟さを感じたり。
そこに相手を制圧する技に転じる可能性を観る。
この固定して作業するクセというのが、
手首だけにとどまらず、体全身に及び、
それを見て解いていくのが私の仕事で。



他にも、意義深い気付きの宝庫です。




まだ私には気づけていない操作の切り口が師範の身体操作にありますから。


深層筋を動かすときに表層筋が動かないままで操作しているというのもそう。
技をかけるときに体の数点を触らせていただきました。
僧帽筋上部と上腕三頭筋、臀筋、二の腕。。。
それだけチェックさせていただいたのですが、
2〜3の疑問点を解消することができました。




そのような不思議とも思える操作を観察するには、
局所に目を奪われてそこだけをみていては、
かえって遠いものに化けていく。
(私にはそれはできません、と・・・)


そう言わないようにするためにも、
一点を注視分析するミクロな分解操作と、
体の全体を引いてみるマクロの視野を行ったり来たりするように、
カメラのズームを操作し続けていくことが大事になってきますね。


人体の解剖学的特性を一般レベルを越えて熟知する。
一般レベルではざるのように要点が抜け落ちている。
そこでは芯がはいった操作に至る前に誤解の宝庫で。


上に行くには、
すでに書店で多数発刊された知識をえればすむことを、
そうせずに新たに自分で人体解剖図を身体操作で感じ、
創りださなければならないような手間がかかっていく。
その手間を効率よく惜しむには、
やり始めのころにしんどくても、
学んでいったほうがお得ですね。


私がかつて施術をさせていただいた方の一人に、
どこぞの合気道の著名な師範の元での高弟が東大での研究員でいて、
そのような身体内部の様子の把握は熟知しているのは当然基礎知識。
そこを軽々とクリアして、その知識を元に自分の体を作りこんでた。
その方を施術させていただいた時のことを思い出されます。
頭がずば抜けてよかった。 


直接的にどのように身体を操作すればいいのかという手続きを教える直接的技の情報は、
かっちりと下地として前提記憶条件が頭に収まった方たちには話の飛躍はみじんもない。
その公式に沿ってプログラムを走らせていくため、
試行錯誤を繰り返していくのもゴールから逸れず。
着実にトライ・アンド・エラーで結果を磨き続け、
道着の奥にある師範の内部操作を割り出しにいく。



氏の才能と努力と根性。
舌を巻くところです。



通常は、下地とする情報が公式的に使えるまで綿密な把握がいかずに
甘さがあるところでわかるつもりになる。
うろ覚えだったり誤認だったり、
理解の深さが足らないとき。
迷宮にさまよい出します。
私も、どれほど迷宮のお世話になっていることか。  ^-^;



それが一端、意味内容を物にでき熟知できたとき、
技をかける際の自信につながります。
技をかける際の原因と結果の間のプロセスが綿密なんです。
論理上の飛躍を許さないようにすることが、ポイントです。
すると「できたらいいな!」から「できたぞ!」といった、
決定的な状態の違いを生み出します。



そこまでゆけば技の応用バリエーションが、生み出される。
それも山のように滝のように、続々とでてきてしまうので、
その応用系バリエーションには圧倒されるところでしょう。



その下地がおぼつかないときには、
不思議な手品を見させられ続ける心境が続いていく。 


それはそれで楽しくもあるので、悪いことではありませんが。
真に迫って踏み込めないことに、時間はかけられませんから。
自分なりに咀嚼して解釈を加え、落とし込みたいと思います。



同時に数種の筋肉を動かそうとする。
幾層も分かれている筋膜層が癒合し、
多層化の意味がなくなる固定化した重たいワンブロックの筋肉へと変貌。

そのところから抜けて行きましょう。

合気柔術の稽古で幾度も口に出され指導していました。
懇切丁寧に繰り返し耳に残るように指導してくれます。


どうしても、一度や二度聞いても、スルーするような。
そんな習性をもつ私にはそこは、本当にありがたい。



動こうという意思があっても、力んだ動きになれば、
自らの筋膜が多層化したそれぞれを分けた層の意味を殺していく。
分厚い一層構造のように筋肉が内部で圧着されてブレーキを踏む。
自ら動きを殺してゆく。


そのような「力感」という実感を感じて生きることに快感を覚え、
それで日頃の生活を送る時点で筋膜の癒着を許しています。
力みは筋膜の癒着の促進剤です。
動きの固定が未熟であれば力みながら体の姿勢を一定にし続けて、
根深いしこりを体内に埋め込みます。
そのしこりがついたほうが体が支えやすいように、
姿勢筋の神経群がもう覚えこんでしまっていれば、
一連のしこりを体内に創りだそうとする操作には、
なんら自覚的な違和感もありません。
そこが怖いところです。


力み出すと、決まって呼吸が浅くなっているか止まるかしています。
呼吸の質をモニターし、呼吸の質を上げるような改善をすることで
しこりの量は減らせますので気を配るといいですね。




私も人体を単層構造化せずに
多層化した概念でいかなければしなやかさは生まれないと思います。


単層構造の大きなブロックはもろいですし融通が効かない。
パワーも出ない。


ただ多層化した時点で細い筋肉をまとめてひっくるめてしかパワーが出せないと
体に信じこませている私達には、そこがあまりにも心もとなく、
パワー不足で非力に感じられるという思い込みが頭を支配する。


そこから抜け出せなければ勝機が訪れない。
言うは易く行うは難し。。。


本当に、ここが、
筋膜の癒着の起因なんです。。。


筋膜とは多層構造体です。
詳しいところを突っ込むと、
それで本が一冊書ける世界ですから割愛しますが、
多層化した使い方をされたときに機能を効率的に引き出せるものです。
生命力を絶やさずに花開き続ける。
その元となる大切な考え。



神がシンプルな人体を作り、
人が歪め複雑化させてゆく。



神の作るままに。
シンプルへ還す。



人がシンプルさを見失い、
複雑に化けていくことは。
体の歪みなどにより行き当たりばったりを繰り返し、
複雑化した操作系が、元ある神様が作成した法則に
そのまま沿って動けばよかったところの道を逸れる。


ひとつの複雑化された動き方の種から、
多くの複雑な種が生み出され拡散され、
いつしか神様が仕込んだ通りの調子を
思い出せなくなってしまう。



そこから元に還るための道を求める。



筋膜をリリースする仕事をしているなら、
筋膜の癒着を作らない方法も把握したい。


すると、ここまで還らないとかなわない。
そのような気がしてなりません。



身体操作術をクリアしていないで、
筋膜をリリースの施術をしても、
一時的なりセットに過ぎない。


身も蓋もない事をいうのは、
このような思いがあるから。



だから、
必ず少しずつでも身体操作を改善させるよう努力する。
そこは、生活の向上には欠かせないと思うのですよね。


それは私自身が身を持って感じられているからこそ、
オススメできるところなのです。



ちなみに、、、
私はどうしても深層筋を動かそうとするときに表層筋も固めるクセが抜けず、
その至らなさから抜けることができれば面白いことになりそうだと思います。


ここが根本的な動きの質の至らないところで、クリアできるためには、
どろどろにくたばりそうなまでの身体内部の書き換え作業が必要です。
まさにどろのように死にそうに眠くなる山を乗り越えなければならぬ。


そんな身体が変わる過程を想像出来るだけ、大変だなと思うものです。 



ですが先にそのようなことを笑顔でクリアしている師範を見て触れる。
それだけでも、すばらしい経験だと感謝する次第です。
そのような機会にお声をかけていただきました、伊藤さんに感謝です。



また数日前に膝下の筋肉をメインにした「触察セミナー」に参加させてもらったことが、
腕の操作の気づきを深めるきっかけとなりました。


なんとラッキーなことでしょう。^-^)




最後に。


個人的なことですが、
一昨日前は、甥っ子のハース池袋一号店でランチ。
http://www.heart-earth.com/


若い人たちが働いているお店ですね。



ガレットというそば粉を利用したクレープがランチメニューにあり、
これは数名で訪れて、ピザのハーフ・アンド・ハーフのようにするといいようですね。




ランチは混んでいるといわれていたが、
豪雨の翌日だからということもあって
ゆったりした感じのスペースで食事を。
甥はいるかいないか厨房は見えないし、
ちょっと残念でしたが。


さりげなく私も甥っ子思いのおじさんでした。 ^-^)