お客様から、かつてのお体の情報を聞き出したときに起きたブレイクス

一昨日前、
とある問題部分の改善のために長くお通いいただいているお客様から、
過去のお体の状態の重要な情報をいただきました。


そのおかげで、
そのお客様のなかで生じていた、
理詰めで考えれば腑に落ちない
種々雑多な疑問点が消えました。


私の中でわだかまっていた謎が、
一瞬で氷解。「なるほど!!なるほどですね!」と。


それで、今回は以前とは違った見方でアプローチを進めていきました。
その結果は、見立てた通りの結果となっていくことを期待してやみません。





筋膜をリリースする施術者にとって、
お客様のどのような情報が重要か。。。


それは簡単な問診票を書いていただき、
質問をさせていただくだけではわかりません。


もちろんある程度のところまではわかるのです。
ですが、お体の状態に相応に深い問題が内在されておられるような方の場合は、
それだけでは十分だとはいえないと思います。


私が知りたい情報のひとつですが、
お客様の体の中の筋肉の癒着部に、
どのような多層化した癒着の堆積があるのかを知りたいのです。




それはどういうことか?


たとえばですが、
関東の地層には、
かつての噴火で関東ローム層ができていることは掘らなくてもわかります。


実際の地層なら、
細い棒状の筒を目的の地に地中深く突き刺します。
そして、引っこ抜いてみると、
キレイにその地の地下の地層のシマシマ模様の層が現れて観測することができる。


ただ人体では、そのようなものを刺すことで筋膜の地層を見るような観測をする仕方は適応できません。
そんなことは、誰もやられたくはないですし、私だってできませんから。



だったらかつての歴史的事象を記された文を読み知識を得られれば、
火山灰が関東一円に降り積もったことがあったと記されていることから
関東ローム層がどれほどの地層の層の場にあるかが推測できてきますね。



そういったことを、問診ですることができないものか?



お客様のなかに書かれているお客様に生じた歴史的出来事を記した文献を紐解いていただいて、
かつてどのような歴史的な噴火が起きて地層として堆積しているのかと同様なことを知りたい。


お客様の状態をお知らせいただいて、
時系列的に主だったこころや体に起きた状態の記憶を話してくれた情報を手がかりに、
おぼろげながら関東ローム層があることを文献から推測するイメージと同様に、
かつての情報をお客様から聞き知り描けるならば、
どれほど筋膜リリースが適切性があがってくるか。



それは人体自体、本物の地層と似たようなもので、
様々な時代ごとに移り変わるような多層構造です。


つまり関東ローム層の下にも別の地層があるので、
そちらの地層の様子は掘らないとわかりません。
そのような多層構造の状態をしることができる。
もし人体の筋膜リリースをする際に、
それを私が正確に把握することができたとすれば、
さらに自信をもって施術をしていくことができる。


大変に嬉しい状態で、お客様も私もしあわせです。



私はそのようになれないものかと期待しています。


だから初回の問診でお客様のかつての体調等の話を通り一遍でさらっと素通りするだけではなく、
けっこうしつこい感じで、
もうちょっとなにか良いヒントがないのか教えて!
と言い出すことがあります。


なにか、かつてあったことをなんだっていいから思い出せませんか?


と何回も施術が進んだあとでも、話をしてもらおうとします。



お話を聞き出したい点は、
そのお客様の状態の場合ごとに別れていて千差万別です。
だから、聞くべきことも施術が進むことで方向性が絞れ、
的を得た質問が展開できるようになっていくのでしょう。



ただお客様にはそれほどインパクトがあるように思えない過去の体験や体感、または気づき。
それこそが、実に施術者にはどれほど重要極まりないものであることもたくさんあるのです。


だから、
結果として、どんどん、施術者に情報をあたえて考えを深化させて行動を適切化させていく。
そのようなことはお客様自身がなさろうとすればできる有益な行為となるでしょう。
(※ ただ、そのような進言を快く受け取る施術者とそうではない人と別れます。臨機応変にお願いします。
私は、そのような情報提供は施術のブレイクスルーに寄与するものと歓迎して耳を傾けるようにしています)



だだし、お客様の話す内容がすべて役だつわけではありません。
ですがちゃんと取捨選択してお話の中の情報を聞いているので、
そこは大丈夫です。



そして質問をしてもそれほど事細かに覚えておられる方は少ないので、
かえって、教えてと促しすぎると気まずい雰囲気がただよいだします。
なので、しつこすぎず、さりとてないがしろにせずにタイミングよく
お話をお伺いする姿勢を保つこと。




それが大切なんだなと教えていただいたような気がいたしました。



ちなみに、問診なしでピタリと施術箇所を言い当てるというのは、
私は感心しません。
もちろん分かる部分もありますが、
それはそこまでの部分で、さらに、さらに、
進むに連れて多層化した筋膜がリリースされた段で別の局面が起こり続けますから、そこまではわからない。
つまりより深層部分も含めて解き方の解をどうみるか・・・。


私自身、いまだに手探りで詰めているところがほとんどです。
もちろん素人ではないため手探りの精度は良いものでしょう。
ですがいまだに直感ベースと思考ベースが入り乱れています。



私には、神がかった力を施術で使えるものではないと思っています。
基本は地道に自然界の理を人体を通して考察し紐解くことの繰り返しです。
その量や質が幅を効かせるのだと思っています。
だから常々その量や質を上げれば、施術の力は、
単純に向上しつづけるような性質を持っている。


もし真摯に人体を自然科学の一分野としてみていこうとすれば、
見えるもが多くなります。
複雑な中にもシンプルな論が貫かれているように感じます。


既存のよくできた施術方法もあります。
理知の集大成でもありますから学ぶのが必定です。
そこを知らずして独自性を出すのもいいのですが、
先人が開発したものと同じものを開発する労を繰り返したにとどまるようなことも、
往々にして起こりやすい。
損得で考えれば、古の智慧を学ばずに独立独歩はあまり賢いこととは思えませんし。
ただときにはそんなすばらしい施術方法の知識でさえも、
目を曇らせるような邪魔ものにもなります。
深くまで学びが進まなければ技術として効果的に使いこなせないし、
悩ましいところであります。


ひとまずは、
広く浅く、まず学び取り、他者が考えていないところを知れば、
そこに独自の極める場を持つのならば、面白みもあるでしょう。
いろいろと各人のよしとするスタイルあっていいのでしょうね。^-^;





話がそれますが、
先日、コーチングスクールのチューターさんに施術でもプロファイリング的な、
人の体の状態を読み込んだ記載のようなものをすることはあるんですかと問われました。


もちろん、問診票的なものもあるのですが、
私がその質問をいただいたときに思い出したのは、
中医学弁証論治です。


恥ずかしながら数年前、熊野庵さんがそのようなことを学ぶ場で修行をしていると聞く前は、
弁証論治の名前だけは知っていたが、まったくの表面的なところまででした。
そして熊野庵さんが学んでいたところのレベルの高さがずば抜けていたので、
自分を恥じて、それから中医学の世界を垣間見る意気込みで弁証論治の本を読みました。


ここまで徹底して人の過去から現在の状態を聞き出していき分析していくものなのか!
と、改めて驚嘆します。



ちなみに映像で弁証論治について語られたものはないかと、先ほど探してみました。
とてもわかりやすく平易に語っているものでしたから、
興味がある方は見てみるといいでしょう。 ^-^



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