初見では私は自分の施術を受けるようにとはあまり勧めません ^-^

私は施術をする場以外では、他の人について体の状態を指摘することは、
まず、絶対にありえません。 ^-^




聞かれればわかることをお答えしますが、
自分から進んで「あなたのここが問題がありそうだ」ということは、
自分も薄々気づいていてつらいなと思うところに念を押す感じです。


それは私自身がやられたくないこと。
その筆頭にあがることです。


ネガティブなことを、面と向かっていわれるのはいやなものですし、
医者でもないものに、そんなことをいわれるのはなおさらでしょう。



ただし施術を受けに来ていただけたということであれば、
それは私が何も気づいたことを言わないのでは申し訳がない。
それにお客様自身も、
「さぁ、言いたいことがあったら、いってみなさい。 聞いてあげるから!」
という腹づもりができた状態でお見えになられています。


だから不意打ちに「あなたのここは、ちょっと問題です!」なんていわれる状態とは違っていますよね。
「ふむふむ、なるほど、そういうものですか!」と施術をするものの意見を参考にする姿勢でいられる。


施術を学び始めの頃は、
おせっかいが過ぎたことですが、
「この人に体に起きている重要な情報を伝えるのは私の使命」という信念で、
ついつい口走ってしまうこともあるのですが、
そこは、もう何年もしているものにとっては、
クリアしているわけです。 ^-^;


ただ初見の方に施術をしている人だと知れて、
というときには、少しだけ気づいた点を言う。
そのようなことも出てくるのです。


そういうときは、
情報を出す側の私側が多量の言いたいことを数点にとどめてお伝えするのですが、
実際はそれでも耳から聞いてみると情報量が多すぎ印象から残らずに消えていく。
たとえ私が解説していることをノートにとられたとしても、
ぜんぜん記憶に残らないそうです。



それが体の状態が施術により改善したときに解説をすると、
たいていの人はすっと頭に整理して入り残ります。


施術をする前の概説で説明されたとしても、
言われている意味や状態が自分の体の現状に即してないため臨場感に乏しい。
自分のことをいわれている実感が持てないのです。


そこで説明している方と、説明を受ける方とのギャップが大きく、
知識は得られたが、自身がそうなるとは実感がないから遊離する。
どこか遠くの誰かさんの話を聞いている気がして。。。


それがどのような機能的ダメージを受けているか、
という解説部分も「大丈夫だよ、そこまでそんなにひどいもんじゃないんだから」と感じ、
大げさなことをいうやつだと思われてしまうことも、しばしば。


自分の状態は誰彼と比べることのない主観的にみているならば、
つらくても相応にやって行けているという評価がありますから。
自信といってもいいでしょうか。
だからその部分を、あまりにも問題視されると自然に反発心が沸き起こるか、
それが逆に、そんなにも辛い状態だったらと勇気がくじかれてしまうことか。


たとえば、
胸郭の変位が著しくなっていてそれが問題ですと絵を用いて説明してみたとき。
その何がどう問題なのかを説明するのですが、
もちろん平素から呼吸をしていて生きています。
生きていられているのですから問題はさほどない。
そのような感覚がありますから、
あまり解説をされても腑に落ちないものの筆頭です。 ^-^;


問題がなくなった状態がその時の自分が想像できなくて、
改善後はどれほどゆるゆるに肋骨や胸骨が動き、
鎖骨もグルングルンに動くかと様子を聞いてみても、
やっぱりぴんとこないのです。


かえって、柔軟に動く人たちのほうが特殊な人種で、
そういったたぐいの人になんてなりたくはないよね。
そういう雰囲気さえただよってくるのです。


常日頃から自分をしっかり自己受容できれば、その反応が当たり前の事のように思います。



だから改善してから、側臥位で肩を耳のほうへ押し上げると耳にぴたっと付くのが良好ですが、
以前はそれがその操作をするとどれほど私が「痛い!ひどいじゃないですか!」といわれたか。


そこを乗り越えて施術をしていくことの大変さって、

意外にしんどい思いを共有することにもなるのです。


でも、、、。



人の体とは現状の体内の地層のような層に硬い岩盤化させ安定帯を作ろうとしている。
不安定さを逃げるための努力を繰り返してきて歪みの上に歪みを乗せるような年輪を作ります。


そういった老化の仕方をするのが人体なんですね。


このしこりが体内で多くはびこる状態を機能的姿勢といいます。
理想的な状態では左右がシンメトリーになりますし、
上下の重心も、体の中心部に安置されるわけですが、
機能的姿勢では、
左右のアンバランスと、
上下の重心が上にずれるという特徴があります。


施術をするものには、
そのようなパターンを人を前にしてヴィジュアルでわかるだけでなく、
瞬時に相手の重心具合を察知するという能力に長けたものもいます。
体を見たときに、皮膚感覚的に察知して把握している。


それを理想的姿勢に戻していこうとするのです。
私の考えている施術は、そのような側面もある。


だから理想化した体の状態へと移行させられるのも、
保守的な人の性状にはそぐわないものなのですよね。


そこの保守的なところを、
施術では、人為的に書き換えられるのだから、、、。


施術って手は、かなり豪腕を振るわねばならない。
手の込んだ気持ちの良いばかりのものではありません。



でも、施術では計算しながら、それができるようになったら、
「そんなもん、ずっと前から、そうだったんじゃないですか?」
という気持ちになります。


そうなれば、
施術の卒業のときですね。


実はそのときに身体状態の解説をお伝えすると、
状態の改善前と改善後のビフォアアフターを両方体験済みですから、
誰よりも内容に納得できる人になれるのです。


ただし施術自体が本格的といわせていただければもっともらしく聞こえますが、
本当に私も身を削りますしお客様も数回でぱっぱと終わる平坦な目標の人は
まずもって私のようなところには気持ちが向かないでしょうから。
だから私の現在の施術は、受ける人を選ぶものと感じています。



私のブログなりを御覧頂いて、
先日、30代後半の体調不良を感じられている男性からメールをいただきました。


そちらにありました内容の一部は、




>>>> 治したいからです。
>>>> 治して頂けそうな気がするからです。



というようなメッセージでした。。。
理詰めを廃した気配を感じていただけた。。。


そんな気がするという評価も、
少しでもお客様に役だつようにという気持ちを醸しだして伝えることができているのか?
こちらのブログが。。。
なら、
それは私にとってもうれしいことだなと。


そしてここまで、なんとなく切迫感を感じ、私も鬼気迫る感じがあれば、
「おっ、、、どうぞ、どうぞ。
私の話を聞いてください。
話は長くなりますし、尋常じゃない専門的なところまで話してもいいし」


手軽に変えられる世界を求めていない人であり、
同時に今までの生活より確実に向上させたい人。


そのような人かどうか、
私には人を見る目はありませんので、
初見ではわかりかねますし、
説明や解説はしても説得して施術を受けるよう勧めることがないので。


ただ、この人は、体質を改善させるような書き換えが必要じゃないからという人は、
普通に、身体調整をして書き換えをするだけですから。


初見でもそういう人だと見抜ければ、
今までの話は違っています。
「あっ、その肩の問題は解けるよ!私で。 ^-^」
という気軽に施術を勧めようとする言葉が出てきますから。



不思議なほど、対応が違ってくるものですよね。