「あなたは、自分の変化に気がついていますか?」


あなたは、自分の変化に気がついていますか?


たとえば『ダイエット』をしようというとき。


自分なりに食事制限をしたり、運動をしてみたり。
ときにはもうちょっと特殊なエクササイズを試みる人もいるでしょう。
もしかしたら、テレビコマーシャルに流れるライザップに通おうと言う人もいるでしょう。


ただそれにより成果が出ている人もいれば、
なかなかあがっていかない人もいるようです。


成果が出ている人はいいのですが、
出ていない人はどうしてでしょう?


なにか問題があったのでしょうか。


そのようなとき、
「なぜ?」という漠然とした疑問から、
「これが原因かも。」という正解へと導くためのツールがあります


<ダイエット>をするときのやり方のひとつ。
レコーディング・ダイエット」ですね。


レコーディングダイエットの私の勝手な理解は以下のようなもの。
・日々、自分の体重を計測して記録していく
・計測結果の体重の増減の数値から、増減変化した原因の仮説が思いつく、気づきがえられる
・その気づきの情報が蓄積されていくにしたがい、
 どのように食事や運動、精神状態を保てばいいかわかる。
・やがて、自分の体重をコントロール可能なハンドルを握って運転し始める



私の家にあるヘルスメーターには、
500グラム単位のメモリ設定のものがあるが、
それではアバウトすぎて使いものにならないというのです。


できれば10グラム単位でデジタルで表示されるほどの正確なものがいい。
計測するときの衣服の重さをしっかり差っ引いた状態で計測するか、
全裸での計測が基本です。


日々、わずかずつ変化する体重変化の動向をチェックするときの意味は、
「もしかしたら、私はあの食材を食べたときに他のものよりも変わった数値が出るわね」
など、
小さな変化する物事の中に偉大な気づきを探し求めたいからなのです。


いままでの自分ではまったく気づかなかったけど、
小さな変化の見える化をしていくことで、
それを偉大な目覚め(自覚)につなげていく。


そのときに500グラム単位のヘルスメーターのメモリでは、
アバウトすぎて変化に対し敏感に察知できません。


そして偉大な目覚めが訪れたときに、
「それでは自分はこのようにすればいいのね。わかった!」というように、
自分の体を自分の知恵によりコントロール可能なものにしていく術を知ることになったのです。




データを数値として蓄えて、そして見える化
自ら自信を持って行きたい方向へと運転できるようにすることができるって、すごくいいですよね!


「ちょっと、目標体重に落としたいな」と考えたならば。
自分なら、こうすれば結果が出るとんだってわかっている。
その上で、ダイエットをしているんだから、こころに余裕も生まれるでしょう。




体の健康を維持するときにも、
レコーディング・ダイエットのやり方は効いてきますね。



人体には、症状が突発的に起こることは少なく、
現れる前には前兆現象が起こることが多いようです。
病理学の勉強をしていれば、
多くの症状に対し、固有の予兆があることがわかります。
しっかり詳細なデータが数多く開示されているのです。


平素の自分の状態を落ち着いて「洞察」をする習慣を持っている人ならば。
深刻な症状が、表面に上がってくる前に、
的確に異変を感じ取り本能的に回避を図るといいます。


一見、不思議とも思えるような回避行動をする人たち。


そのような方々は「大難を中難に、中難を小難に、小難を無難に済ませられる」のです。


あなたが、このような自分の状態を、
落ち着き、そして洞察できる才能に恵まれていれば上々です。


ですが、もし「ちょっと自分はあやしいな」と思えたならば、
自分の体をつぶさな観察をしていく習慣を持ちましょう。


日頃から自分が感じ取れるセンサーのメモリを、
最大限に細密設定にしておきましょう。


自分の体の状態を数値化し、
そして客観視すれば。
その数値の増減の意味を悟り、危険回避ばかりではなく、
自身の健康増進や美しさの追求などにも効いてきます。



多くのダイエットをするときにも、
多くの健康法を実践するときにも。
自分自身を正確に把握するための「ものさし」を持って測れなければ。。。


なんら、進むべき道を知る助けにはなりません。
そこはアバウトではよい結果は現れないのです。


真剣に自分の体の見える化に取り組み、
注意を安定的に向け続ける洞察力があってこそ、
実験的に試したとき、自分にその方法との組み合わせが合うかどうかがわかるものでしょう。


またどのような健康法やダイエット法にもいえることですが、
短期的視野の近視眼的な観察を信じるのは危険で、多くは間違いを含んでいると思います。
長期的視野で全体を俯瞰しながらそのものの構造を理解して解析していくようにすること。


これが、私としては
「あなたは、自分の変化に気がついていますか?」
というときの自分への戒めです。