私の急性の副鼻腔炎を改善させる過程の記録:肺・大腸・胃・肝などの経絡へ改善の手をさしのべてみた

こんにちは。
ボディワイズのスズキです。

個人的なことで恐縮ですが、
2~3週間前に左側の急性の副鼻腔炎
その数日前に抗生物質が処方されて数日間それを摂ってから腹部の調子が悪い。
全身の悪玉菌やウイルスが一気に消えると同時に、
全身の善玉菌も一気に消えたとき、
体も最近の施術で疲れが蓄積して気候変動で風邪をかるくひいたのがきっかけ。
生来的に持っている自分の一番弱い部分に影響が現れたということだろう。。。

それが私の左側の副鼻腔。


黄色い鼻水が左側の鼻からのみ出続けました。
一日にボックスティッシュを一箱消費するほど。。
『どんだけ、体の中でウィルスがいるんだろうか・・・』

検温すれば熱もなく、咳も出ない。

私どものお客様には過去から遡ると慢性副鼻腔炎のお客様が5名お越しいただいております。
お客様自身、すでに副鼻腔炎の対策のため多くの病院や鼻うがい習慣などとっている方ばかりです。
お客様を通して副鼻腔炎の身につまされる大変さはお伺いしており、
何度か副鼻腔炎の手術をした方も再発が繰り返され回復しづらい方々も含まれます。

私なりにそのお客様の対処法としてどのような可能性があるか。
副鼻腔炎の専門的な書籍を医学書店で手に入れたりと、
基礎的なところを把握して、
そこを東洋医学的な整体等のアプローチやオステオパシーの手技などで対策法を練っていた。
そして副鼻腔炎のお客様にそれらを施すも、急性に近い者は改善はしたのだが、
すでに慢性期になっている方には成績が芳しくない。。。
各人の状態は違いますから、その流れに沿って深く入っていっても、
一定の改善は見れるがすっきりというわけには、どうしても行かない。

そういったことをお客様から通して感じており、
急性の副鼻腔炎から慢性へ移行したら大変だなという気持ちはハンパではありません。。

ハードな施術をしつつ改善を図るには難敵すぎる!
基本、副鼻腔炎の起きる理由を東洋医学的にみれば『体質を変える過程』を通して治るものであり、
局所的に副鼻腔やその関係する部分を洗浄したとしても、その奥から奥から真の問題が時を悪くすれば大きく成長して行く。
そうなると慢性へ移行し、その状態は定着します。



自己分析的にみる記録を残そうと思いました。
(※これは私の現状でのケースであるため、他のものに一部の共通項はあっても、まったく同様であるということはありません)


私の今回のケースでは、抗生物質を使って体内の善玉菌が極限まで死滅し免疫に不調を生じたため、
そこを補うことは必須です。

自分で中医学で学んだ脈を診て『胃と脾』に問題があることをつきとめ、望診・問診で『肝』。
副鼻腔炎の根は『肺と大腸』に問題があるのは当然。ここは言うまでもないだろう。


『ただ寝ていただけ』では、これらの経脈のかかわる問題が効率的に改善する期待はえられません。
そうすると副鼻腔に強烈な細菌が根を張る時間を与えて、慢性副鼻腔炎に陥ることになります。
そうなれば一生を通じてこの症状は続き、鼻呼吸の足かせ、そして呼吸機能の低下から血中酸素量が減じられ、
そこから広がる思考の低下や疲労蓄積のおきやすさからくる不快感などが手放せなくなるだろう。

そこで具体的なやり方は割愛しますが、筋硬化が『胃』への経絡と胃自体に対しての問題をだしていたため適切にアプローチを重ねました。
すると胃が下垂していた位置が『ギュルギュル』と音を立てつつ上方の理想位置に持ち上がっていきます。
一度目が起きたとき、かえって副鼻腔からの鼻の量がいきなり増え、体内の水分量を一気に減じられるほど。
体内の水分量を保つ固摂作用(こせつさよう)の危機かと思えるほど。
2日後に二度目の胃が下垂へと向かったものが音を立てて戻った瞬間があった。
肩や首、起立筋が適正に緩められた深度が必要な深さまで届いたときだった。
副鼻腔炎から嗅覚が弱まっていたところが、いきなり嗅覚の感度が復活した。
そのときに副鼻腔炎のお客様が不快感がつらくてといっていたことを思い出す。。。

それから肝に対してのアプローチする段として3日間、そこを徹底して行った。

このころには抗生物質の影響による内臓の不調も徐々に収まったのか、
肝からの気の送り出す力の活性がみられるようになっていった。

この時点でもまだ左側の鼻からだけの鼻水が半減はしたものの気になる状態だ。

気の送る力を足すために、湧泉・会陰・百会などの経穴と起立筋の特定兪穴にべんせき温熱機とべんせきのプレートをフル活用。
他のホットストーンではかなえられないほど、べんせきには体内に取り込みやすい気が発生している。
常温のべんせきでもそこそこの利益は他の石よりあるものだが、熱するとそれが飛躍します。

あとは頭部を綿密に副鼻腔炎の対応の経穴に絞って、加圧の強さや加圧方向、熱の強さの調整を綿密にした。
症状を取りたいときにいい加減な経穴の根の部がわからずに刺激をしてもいい成績は期待できないと考えたほうがいい。
それは解剖学的な資料をもとに経穴がなぜでき、どのような対処をすれば効くかがわからなければ成果がでないか、悪化を呼ぶこともある。
慰安の目的であれば厳密さは控えめにしてやりやすさをとってもいいかもしれないが、
明確な症状があるときには、一般の方には腕のいい鍼灸師の先生に治療を依頼すべき。
そうしたほうが費用対効果を考えても、短期に改善を得られる点においても、
明らかに成果がいい。
鍼灸等の経絡や経穴を取穴の実態を知っている人には、
一般書のツボの本は症状改善にはやり方が大雑把すぎて役に立たないというだろう。
私も、今回、一般書のツボの本を見てここが経穴かなとアプローチしていたらと思うと、、、。
そうしていたらと思うと、緊急時で効果を叩き出さないといけなかったため身が凍る思いです。


私はべんせき温熱器をフルに使って、症状に対処するピンポイントの経穴を選び出して対処を行った。

するとここで顕著に鼻水の状態が大幅に減じられた。

ボックスティッシュ一箱とかから半分に胃や肝の改善にあわせて減ってきたところを、
ポケットティッシュ一個か多くて二個にまで減った。
それも、、、あまり鼻水がでているわけではなくて、
いままで鼻を必死にかんだという習慣を短期で強烈に身に着けたため、
あまり鼻水がでてなくても条件反射的に『チーン』と鼻をかんでいる。

もちろん頭部へのべんせき温熱器を使った経穴のアプローチだけが好影響を与えたわけではないが、
これは問題が含まれた副鼻腔の奥の冷えに対して好転させる大きなきっかけになったかのようです。
改めて東洋医学ってすばらしいと感じました。

そして自宅にべんせき温熱器を各種用意できていて、
それぞれの特徴を最大限に取り出しながら対処すると。
ただの成果があまりでづらいセルフアプローチという制約が消えていた。
※セルフアプローチは、他者からのアプローチによる成果の2~4割ほどに減ると考えられるため、
 効きはいまいちであるため、時間の間をおかずに繰り返し行うことが必須となります。



私が日ごろ良くしていただいている先生と呼ばせていただいている方からは、
『鈴木くんは、その自分に降り掛かったことを治して、同様に苦しむ人にそれをもって尽くすのだろう』とおっしゃっていただけました。
そのようにおっしゃっていただいて、
崇高な研鑽を自らの身を持ってしているような前向きな表現でなぐさめていただき、恥ずかしい~!!



ただできることは副鼻腔炎を患っているお客様への共感が深まったということ
『私も急性の副鼻腔炎を患ったとき、苦しかった。ほんと、だからあなたの苦しさがわかるんです』といって差し上げることができるようになった。。。

ですがお客様としては、こんなことをいわれたとしても、自分が改善できて目的達成なのです。


お客様の中におられる慢性副鼻腔炎を患っておられる方々のアプローチが、私の今回のものと同様ではないため、
流用できるところも一部ありますが、かんたんにはいかないところがあります。
私の改善には、自分で病中から始まり昼夜問わず2時間毎に脈状を厳密にチェックして、
どちらに飛べばよいかをパイロットしていきました。
治し方の手引はないのでトライ・アンド・エラーで臨機応変に、改善の手を考案し工夫を加えて立て直すという手間をかけ続けました。
そしてまだもうちょっとの期間ですが、この仕事は続けなければなりません。

急性の副鼻腔炎でも、ここまでやってどうにか改善の軌跡を得られるわけです。
慢性の副鼻腔炎の複雑さは体質の奥まで探るのが必須だと痛感したわけですが、
そこの根の立て直しを手探りでやってきてマニュアルなどはないものと考えると、
いまもまだ対処に容易ならざるものと感じています。





今回の抗生物質の影響から膨らんだ、もともと弱かった左側副鼻腔の炎症は、
かつて耳鼻咽喉科ファイバースコープにより検査を受け左側副鼻腔の通りが狭いといわれていたのを放置していたことから起きたこと。
そういったすでに自分が問題があると気づいているものを放置すれば、
いざというときにこのように転じるのだと学ばせていただいた。

賢明さに欠けた行為を戒めて繰り返さないようにする教訓にしたいと考えています。




ただ副鼻腔炎にいいかどうかはハードルが高すぎ課題なのですが、
デコルテライン内のべんせき温熱器をつかったアプローチを自宅で一定期間繰り返すことができると、
それがセルフアプローチをはるかに超える成果があらわれる。
かなりしんどかったものが自分が思っていた以上に改善できた。
そこを身を以て実感できたことは、新たなセルフアプローチを提唱するときに説得力を持つだろう。