「内的視覚」が鋭くなったきっかけは「福石」のおかげさま

今日も東京は雨です。
外出する予定ではありますが、
雨、止んでくれるといいのですが。。。


話が変わりまして。

望診という中医学の診断のひとつにも、
人体を外見から眺めることはできます。

身体の状態を、
外側から視覚により見分することです。

ただ筋膜リリースをするという場合は、
カラダの皮膚の表面の状態を知るだけでは情報量が不足しているのです。
皮下の状態を探索し観察し、的確に把握して現状を知って正すためのしくみを見つけることができなければ、
的確なアプローチをすることができないのです。

そこで一般的には、皮膚の色をみて、乾湿をみて、できものがあるかどうか、しわをみて、温度をみて、気をみてというようなプロセスで、
患部周辺を探索していきます。

まれに透視能力があるかのように患部の情報を読むというものがおります。
そこは「内的視野」とか「内的視覚」などと呼ばれますが、だいぶ不可思議なものです。
単純に否定するのはたやすいのですが、実際に一部の者にはそういった内部を感知しているとしか思えない成果をだされることがあります。

そこを自慢げに話をしてしまうようであれば品がないと、私には思えてなりません。
ですがそうしたことも含めて、人間が本能的に持つ能力のひとつに組み入れられているのだと感じます。
ただそれを誰もが持つかどうかはわかりませんが、
できれば施術をする者として自分のためにもお客様のためにも持っていたいと切望するところです。


ですがそんな私にも、ときおり自分で「おっ、やった!(リリースできるような部位にベン石の先っぽが)うまくかかった!」と
思わず声をあげているときがありますが、そのとき。
手の指先の感覚を研ぎ澄ませてベン石温熱器を通してお客様の深層の患部の状態を探り当てているわけですが、
私の目線が完全に患部やそこに接しようとしているベン石温熱器から離れて中空をみているときがあります。


自分でも気づかないうちにそうしているのですが、
そうした目先には、私にとって不思議でなりませんが、患部がありありと見えて感じ取れているときがあります。
これが内的視覚というものの一種なのかと思ったりしますが、以前はここまでしっかり見えてはいなかったのです。





うそっぽく聞こえますが、
そうなる前に、きっかけがありました。




江の島にはツボクサ(ゴツコラ)が自生しております。
私が好きな生命力のつよい食べるIQと評されるハーブです。

すでに自宅で栽培しているので、それで自宅用はまかなえます。
だから採取がもくてきではなく、
どのような環境下で自生するかを観察することで性質をみるためなんです。

それで定期的に江の島に通っていました。



そして江の島神社の階段を上る途中に、気になる像が鎮座しているのです。
杉山検校和一先生という、日本の鍼の世界では知らぬ者がいない先生です。
私は、特に杉山検校先生のことは存じ上げておりませんでした。
脇にある先生の伝記を読ませていただいて、なるほどとは思う。
ですが鍼を私が使えるわけじゃないんで、身近に感じたとはいいがたくて。
ただ習慣的に像があれば手を合わせるのを繰り返していました。

そんなとき。

杉山検校先生が若かりし頃、
武士の出でしたが病により子供時分に失明し、
生きるために鍼の術を身に着けるため弟子入りしたのです。
ですがなかなかうまく鍼が打てなかったことで帰されてしまいました。
落ちこぼれてしまったことによる、絶望を感じたことでしょう。。。
帰途の途中で一念発起し、江の島の洞くつで断食修行。
その祈念の修行の終わった日に江の島を後にするとき、
石につまづいて気絶したそうです。
そして意識を取り戻し起きたとき、
懐中に手をいれれば指先に刺さるような当たるものを感じました。
丸まった枯葉のなかに松のとんがった葉がはいっていて指先を刺していたのだそうです。

そのとき目が見えないため鍼を思うように刺すのが大変難儀していたものの、
管に鍼をいれて的確に経穴に刺激するならきっとできるはずだとひらめいたそうです。

それから京都へ鍼の修行をしにいかれ、後に江戸にて開業。
その腕が知れ渡り当時の将軍、徳川綱吉公の病を治しました。

綱吉公は褒美に欲しいものがあれば、いいたまえというと、
杉山先生は「ただ一つ目が欲しゅうございます」

これを聞いたときは綱吉公も困ったと思いますが、
本所の一ツ目という番地の土地を杉山先生に褒美として与えたといいます。

その後にその拝領いたしました土地に家屋を立て、
目を病んだものにも手に職を持たせるための手習い所を設けたといいます。
杉山検校先生が残した医学の知識は文章となり、今も学ばれております。

85歳になってご他界なさりました。
当時の85歳といえば格別なる長寿。



そしてこの杉山検校先生が若かりし日の江の島で断食修行後につまづいた石は、
現在、福石と呼ばれ江の島神社の上り階段の途中に安置されております。

なんか、変なことをいってるようで恐縮ですが、
この福石の上辺は少し丸みをおびておりまして。
夜の夜中にそこを私が観ると、気の揺らめきのようなカゲロウを通して物をみるようなものを感じます。
日中では明るすぎてわからなかったのですが、夜半となれば、私でなくても鋭い感覚を持たれる方は気づくでしょう。

そして福石の頭の部分から何がでているのかを感じようと、
私の頭をそちらへと近づけて覗き込むようにしたときのこと。

おそらくそれからだと思います。

「内的視覚」と呼ばれるようなものがいきなり強まって感じだしたのは。
もちろん、施術をしていて、日々、身体内部の情報を得るにはどうすればいいか、
書物を読み、実験をし、研究を続けてきたため下地になる知見の量は集まっていたと思います。
ただそうしたものも、うまく整理されて、知識が線で結ばれない限り、使えるようにはなりません。
福石の頭の上を覗き込んだ時に、表現しづらいようなビジョンが現れたのを驚いたのですが、
それをきっかけにして急に今まで以上にお客様の体の内部への探索力が増したように感じました。


鍼灸をなさる先生方が、患者様の体の内部をどう察知して鍼を打つのかの感覚。
そこは私には鍼を打ったことがないのでわかるものではありませんが、
そのときからだいぶ鍼灸の専門学校か、、、いいな、、、と思うようになりました。

以前、鍼灸師のお客様から、
「鈴木さんは鍼灸、向いてるかもしれないよ」とお勧めいただいたこともありました。
ですが私は当時、それってどういう意図があっての言葉なのかぴんと来てなかったのですが。


杉山検校先生の墓がひとつ、江の島にもありまして。
私が独りでいくときには、かならずお参りさせていただいておりました。
鍼に関心が深いわけではなかったのですが、不思議と杉山検校先生とはどういう方なのかというところを感じたら、
純粋さを根に持つすばらしいお人だろうと直感で思えたからでした。


そのような鍼の道を後世に伝えることとなった先人がいるのは、
素晴らしいことですよね。
私のしていることは、自身でとらえた課題を得て、それを解決するというものの繰り返しの日々で、
ただ一人で技についての師と呼べるような方はあまりいたためしがないような気がします。


ですがコロナ禍も深まり、またいつ休業になるかもわかりません。
休業どころか、私の施術者仲間には転業の波が訪れていますので、
遅かれ早かれ、対面での仕事から離れて活動する場への転換を余儀なくされるものですし、
そうなれば仕事として一から構築していかなければならないので。


鍼灸の専門学校に入るための資金繰りはつかないのかと思います。
この年にして、新たなことを学ぼうというのもいい生きがいだと思うのですが、
いまの時期は、先立つものを考えれば動くこともままなりません。
残念です。。。





以上、
いろいろと散文的に書かせていただきましたが、
もし同業者のかたがこの文をお読みいただいて、
江の島に足を運ばれたときには。

ぜひ、「福石」にお参りしてみてくださいね!



あと両国に江島杉山神社( http://ejimasugiyama.tokyo/index.html )という神社があるそうです。
そこは杉山検校先生が綱吉公から拝領した土地で教育をした地に立ちます。
こんど、そちらにお参りに行ってくる予定です。 ^-^
その隣には記念館があるらしく、多数資料を拝見できるようで、たのしみ。