こんばんは。
ボディワイズの鈴木です。
台風8号。
東京都品川区の私の自宅では、
午後11時現在、大きな被害を感じるようなことはありませんでした。
ただ、テレビで被害のニュースを見て、驚いております。
みなさまは、ご無事ですか?
被害にあわれた方には、心よりお見舞い申し上げます。
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話が変わりまして。
偉人の偉業を本で読んだとき。
すでにご他界された方からは、
話をお伺いすることはできません。
そのようなとき。
政木和三先生のなさっておられたフーチが役立ちます。
フーチとは、中国式のダウジング占いのようなものです。
瞑想意識まで脳波を安定させてから(※ この意識のモードに入らないと正しい判定はおきません)、
フーチで占いたい人物をイメージします。
名前を紙に書いておくのでもいいでしょう。
すると、ダウジングの重り部分が動き出し、
その動きのパターンから状態を調べます。
フーチパターンによる霊性チェック!
愛情深い人であれば ( 〇 )のように円を描いて回転し始めます。
知恵や知識の人であれば ( |縦長の回転 )
秀でた感性の人であれば ( -横長の回転 )
強いエゴ=自分勝手なら ( \斜めの回転 )
反自然で人としてしてはならないことを平気でするなら
( /斜めの回転 )
この御仁の伝記を読ませていただき、
ほんとうに尊敬しうる人物であるか?
たとえば、本を記した著者の目により編集を加えてある。
または、伝説のように語り継がれてきた内容は伝承途中で尾ひれがつく。
そういうものです。
そうした虚像に対し、敬意を払い続けることは不本意です。
思い入れが深い気になる偉人がいれば上記のフーチを使い、
調べるようにしているのです。
たとえば。
私が自分をフーチでチェックすると、
徹底的に( 知 )の動きが繰り返されます。
( 愛 )ではなく、
ボディワイズという名のごとく( 知 :|縦長の回転 )が現れる。
円を描く( 愛 )のフーチがあらわれるほうが安定し成熟した姿ですので。
残念だとショックを受けるものの、
知的好奇心が先走って暴走するときがある傾向を客観視して納得しています。
いずれは、フーチが大円を描いて回るようになりたいと真剣に願っています。
そのような切ないこともわかります。。。
最近、フーチでチェックした方、杉山和一先生(杉山和一検校)。
杉山検校は本名を杉山和一といい、慶長15年(1610)、伊勢の国に誕生しました。
幼少の頃に失明し、有名な鍼医のもとで学びましたが実らず、
江の島弁財天に21日間籠もって礼拝を続けた結果、管鍼術という療法を創案し、大成したと伝えられます。
鍼・按摩技術の取得教育を主眼とした世界初の視覚障害者教育施設とされる「杉山流鍼治導引稽古所」を開設した。
これには鍼医として仕えた江戸幕府第5代将軍徳川綱吉の支援を受けた。
私がつぼくさの自然界での生育状況を観察するため、江の島に定期的に通っていたのですが、
そのときに杉山和一先生の像を見つけ、そして墓所があることも知りお参りするようになりました。
ですがそのときは日本で初めて視覚障碍者が自信を持って生きる術を教える稽古場を作った偉人とは知らず、
条件反射的にお参りをさせていただいてました。
本所一丁目にある「杉山流鍼治導引稽古所」の地に建てられた江島杉山神社にもお参りにいき、
それから杉山和一先生をフーチでチェックさせていただきました。
愛情深い霊性を持つ印の大きくスピーディな円を描きます。
伝承を聞けば、大きな円を描くはずと思えた偉人が、
意外に期待を裏切られることが多々あります。
自己中心的だったり、自然の摂理にそぐわないのは、隔絶された壁の中でもがくような印象の中にいて、苦しい状況です。
時としてそのようなフーチパターンがあらわれることがあって、意外な思いをすることもあるのです。
ただ江の島の福石や杉山和一検校の墓所から発せられる信念の人、信仰の人が持つ澄んだ熱を帯びた気を先に感じていたため、
期待通りであると確信を持ちながらフーチを使って、円を描いたときの大きさや速さをみて、新たな納得を得たところがあります。
世の中にはすばらしい御仁がおられると感じ、
それで先日、鍼灸師の知人に江島杉山神社からお授けいただいた
鍼の学びが進むようにという願いが込められた御守りを送らせてもらいました。
その知人はもう鍼は打たないといっていたためどうしたものかなとは思いましたが、
鍼を打つ打たないに関係なく、その御守りからくる「杉山検校」の澄んだチカラは、
その人の身体を守る愛の波動を出していることが伝わってきます。
その意味で、気に入った際は身に着けていただければと思います。
本当は御守りを押し付けるようなことをすべきではないのですが、、、。
また、これは余談でございますが。
私自身、生まれてこのかた腎気が弱く苦しんできました。
幼少期、マッチ棒のように筋が育たずやせ細っていて、
施術をはじめた当初は、身体を衰弱させ何度か死にかけています。
現実問題として、いま、私が生きていられるのは、
長期にわたり休業を許してくれた家族のおかげです。
それが江島杉山神社にお参りさせていただき、金色の杉山和一先生の座像をお授けいただき飾らせていただいたときに、
いくつかのインスピレーションを授かりました。
それは施術上では、お客様の体内の深部感覚が格段に測りやすくなったという点もありましたが、
あともうひとつ。
別の感覚を鋭く磨かせていただき、
はじめて「腎気が立つ」感覚が身にあらわれました。
腎は精を蔵している臓です。
精が不十分であることから、
苦汁をなめてきたことも多々身に覚えがありました。
それがおさまるのは私の夢のひとつでしたが、
そこがかなうところまできた実感があります。
腎は精を貯蔵し、髄(骨)を生むのです。
髄は脳髄の同じところでもあり脳の健康を産むのです。
そして骨の若さを産むのです。
この精が外へと出る・かかわる下地となります。
求め続け食養生でも腎経の経絡刺激でも、腎経の筋への刺激でも、
さして改善が見られなかったものが、
昨今の社会情勢が大変な折にいい方向へ変わった実感がもてたのも。。。
それもまた、必然の流れのうちのひとつのような気になっております。
私の腎が立つ過程で、腰椎の狭窄していた部分がバキッパキッとクラック音を立て、
これはいったいどうしたことかと不安になり、消化器に一時的な不具合も出ました。
ですがそれも今考えれば、腎が捻じれ倒れた状態を立たせるときに副次的に生じた現象でした。
金色の杉山和一先生の座像をお授けいただければ自動的にこうなるというわけではないのですが、
私が知人にわたした御守りにも、そのような作用を甘受しうる{【重要】受け入れる能があれば}、
私と同様なことに落ち着く可能性があります。
その鍼灸師の知人も腎が問題がでてきていて、
私のところまで遠方から施術を受けにきてくれているからです。
最後に、YouTubeで「杉山検校」の修行時代からのエピソードを語る映像がいくつか見受けられました。
そちらのうちのひとつに、杉山和一を支えた奥さんの「せつさん」の視点で語るお話がありました。
(※ 本職の講談師ではない方だと感じられましたが、せまりくる迫力が心に強く響きました)
お時間とご興味がありましたら、ご視聴いただけましたら幸いです。
江戸期の盲目の偉人杉山和一と徳川綱吉の足跡Vol.4
来週あたりのくもりの日を見繕って、
江の島にフィールドワークとしてのつぼくさの観察と、
杉山和一先生のお墓参りにと思っています。^-^