「俺は施術は受けないよ!」といわれた話 

個人的な話題で申し訳ございません。
昨日、千葉県香取にある両親の墓参りをしてきました。
寺は、街から離れた奥に入った場所で香取神宮を挟んで香取駅から7キロほど歩いた先になります。

いつもは足早に歩く行程で疲れ果てて帰途に就くのですが、
この日はお寺の総代さんが軽トラで駅から寺まで送っていただけました。

そのときの会話。

総代さん:「へぇ~、あんた、整体屋さんやってるんだ。
      整体って治るときは、ものすごく治るよ。
      でも、失敗すると体がかえってきつくなってえらい目にあうもんだ。
      おれの父親が、こっぴどいことになったんだ」

その言葉に私もすなおにうなづきました。


そのときはいえませんでしたが、総代さんのおっしゃること。
よくわかります。
私の父が晩年に左官業の職業病で腰を壊したときでした。
これは35年以上前です。
当時、整形外科での手術成功の%が芳しいものではなく、
父を直してくれる整体院を探し回りました。
インターネットにより情報を得ることができなかった時代で、
私は書店で整体の本をかき集めかたっぱしから読みました。
でも今から考えると、
どういった基準で父にあう治療院を探すかのがわからずに、
劇的に良くなるといった甘言が多いところに目が魅かれたのです。

父がそうした治療院に足を運びました。
よくなると期待したがそうとはならず、
そうでもないどころか、着々と悪化が進むのです。

本に書いてあったところとぜんぜん違うじゃん!!

父に対し調査不足の自分のせいでこうなったものと感じて、
非常に申し訳ない後悔をした記憶があります。


そう感じた後に、私はしばらくは営業やプログラマーなどのサラリーマンを経て、
一念発起して整体の専門学校に入校し、私なりの父への詫びをするつもりで施術を学ぶこととなりました。
それで現在に至る感じです。



実は新規のお客様がお越しいただいたとき。
主に高度な内科系の症状を持たれた方が中心ですが年に何名かのお客様に対し、
私自身の手技ではお客様が期待できるような成果をだせないと判断し、
どういう理由かを説明させていただいて施術受付をお断りさせていただくことがあります。

私の所へおいでいただくことで一刻を争ってなさねばならない治療機会をみすみす逃しては一大事です。
そうならないようにしたいという考えで初回施術の料金などは一切いただかずに、
私がお客様を見させていただいてわかったところを箇条書きでお伝えさせていただきお帰り頂きます。

このように私からお断りさせていただいた場合、
お客様自身、選ぶ治療院を間違えたと憤慨なさる気持ちで帰途につくため、
玄関のドアがこわれる勢いで閉めていかれることもあります。
それが正直、恐ろしい思いで聞くこととなります。。

そうであっても、半月間、治療のタイミングを逃したら後悔が残るような緊急性の高いお客様のときは、
「私の仕事では、十分にそこをカバーしきることができません」と自分で理解できた時点から、
しっかりと検査をお受けいただくようにと勧めさせていただきます。

友人の施術家からは、
「そんな弱腰では信用なくすからダメだよ」
と心配心から助言をいただき、心根の悪くない方だとわかっているのですが聞いて上の空でうなづくことになります。
私が思う本当の弱腰とは、そのお客様の状態を多少なりの向上も生み出せず、
ずるずるとカバーできないまま時間を取らせてしまうけど何も言い出せないことのように思います。
そうしたときは自分の施術をする人としての評価や信用を黒く塗ってでも、
明らかに自身の手に十分な打ち手がなかったり調べようが見当がつかないときはお断りしたほうがいいと思うのです。
私はそういうことは弱腰と呼ばずに、慎重というべきと感じています。



ただ、少数派ですが、
そうして断られた方が、
病院に行かれて私が観た脈で沈脈が進み過ぎていて何かが起きている様子を調べてこられたとき、
原因がそこでわかってみた後でセカンドオピニオンとして施術を受けたいといっていただけた方がいます。
そうであれば、もちろん断る理由など存在しません。

「どうぞ、どうぞ!」
すると病院の検査数値やレントゲン等、様々なデータを参照させていただくことを許していただけて、
具体的にどのような手を次に打つかの手技療法の手順としての算段がつけられることもあります。


私自身の父もあまりいい施術家というわけではない人に世話になった当時を体験しているため、
「施術家が万能」とは、
個人的に幻想でしかないと考えています。
万能どころかリスキーな賭けとなる場合もある、ロシアンルーレットのようです。


施術家も、本気で勉強しようとするなら、
いつまでたっても勉強する課題が尽きないんです。
そういった信用して付き合っていける施術をする人の施術ならいいが、
そうでなければなかなか受けたいという気にはなりません。。。

※ 私の施術の師匠は、徹底的に多く著名な施術家の施術を受けて、肌で良し悪しを情報を得て成長著しい人でした。
  だからそういうのもありだと思うし、だんぜん、効率よく進化成長のステップを駆け上がれると思っております。
  でも、私が私の父が施術を受けた後のときをみたことから、なかなかそれができなくって、
  結局は自分で自分のやり方を探求するという地道なトンネルを掘るような成長曲線を描くことになっています。


昨日、総代さんが「俺は施術は受けないよ」と明言したことばには一切の私に対しての悪意を感じるものでもなく、
率直な意見をお伝えいただけたものとして納得です。
ましてや総代さんの父親が施術で壊されたとなれば、私と同様な苦しみを得た人です。だからなおさらです。

そして総代さんが
「俺はね、68歳だけど、身体がかなりがたがきたが畑で土をいじる仕事をしてると疲れがざっくり抜けるんだ。
 畑仕事をしたら、腹がすく。飯がうまいんだよなぁ!
 これが俺の健康法だよ」と加えて笑顔で話してくれました。


総代さん。
農機具を活用して「米」を作っているらしい。

やっぱり自分ちで食べるようにつくった形は不揃いで無農薬で、多少虫食いがある農作物って、
食べてみると市場にないおいしさだし、それをいただくときに、「生きててよかった」と喜びを感じるわけですよね。

2リットルのペットボトルを切ったものを二階の窓辺でプランター代わりにしてホーリーバジルを育てる私としては、
田んぼを持っていいコメを作って。
それをおいしく食されていることに、あこがれを感じて止みません。