慢性化したり繰り返す痛みや不快感を骨格筋で感じるとき。そうした患部の部分を見る眼と全身を観察する眼が大事。マクロ視点とミクロ視点の両方を持ちましょう

身体の見立てをするとき、
『全体と部分のかかわり』をしっかり把握することが大事だと申します。


セルフケアをするときに、
たとえば、腰が痛タタタッとなったといたします。

すると、主訴を腰痛と考えて、痛みが出た患部に湿布を貼ったり、マッサージの手を加えたり。
その後、気にならない程度に軽快したならばよく健闘しましたということになるのでしょうか。
こうした場合、(自分目線)では痛みの不快感から早急に逃れたいのは誰しものこと。

腰痛原因が、
腰部負担を強いる運動過剰により腰部の骨格筋が炎症を持っただけであれば、
それは放置しても自然に治癒する一時的なものです。
そうした場合は、特にマッサージも湿布も不要です。
あまりに痛みが強いようなら、お勧めはキネシオテーピング。
キネシオテープのはり方をネット等で調べて自分で貼るもよし、
整骨院や整体院等でキネシオテーピング対応をしてくれる先生に頼むのもよし。

患部の痛みが軽快した主たる治癒要因は(自然治癒)ですね。

ですがたとえば腰痛の原因が、内科的兆候として腎臓の機能に異常が出た結果、
当該内臓からきた栄養による投射痛だったとすれば、
そうした骨格筋のダメージを補修するという手当は適切な対応とはいえません。
早々に病院で検査を受け、治療を始める必要があります。

ただ自分の腰が痛みがおさまらない時間が長期に渡ると、
本来は腰痛という主訴から懸念される様々な可能性に気を配ることができなくなる傾向へ。
身体のなかの内部状況をよく観察せず、
本能的に痛みのある部分や不快感を感じ取る部位にのみ手を加え始めます。

すると、葉を見て木の全体を観ないとなります。
一部の葉が枯れ始めた場合を観察してみましょう。
四季の移るときに役目を終えた葉は、
自ら木の本体から切り離されて散ることとなります。
そういうときは人の手をかけず自然に任せましょう。

もし原因が木の根が水を吸い上げられずに葉が枯れたなら、
木の根にたっぷり水をげてみて様子を見る。
それでも葉が枯れれば木の幹の中に水が流れるような回復をはかる手当をします。
枯れた葉という元気を失った状態の(部分)の傷をきっかけに、
木の(全体)に観察部位を広げていくことができれば対処法はみつかります。


身体全体を観察するきっかけとして、手始めに痛みがでた患部という部分をみてみる。
特に慢性化した腰痛などを患った人などは、
患部の部分的な痛みには裏があると考える。
そうしたときは身体全体の不具合に部分の患部をつくる仕組みを持つと観ていきます。
そうなると直感的に感じる体性感覚をもとに身体を見る眼だけでは
情報収集するところで十分な量のデータが集まらないものです。
そんなときに施術をする先生のような他者の客観的な眼を参考にすることもいいでしょう。
自身では患部の局部に意識が集まりそこを拡張して鳥瞰して見づらいのですが、
他者の視点はまずは全身のバランスを見るような(俯瞰して全体を観て)いきます。
それから患部を見るのです。
身体全体の骨の位置の狂いや骨格筋の硬さなど状態のミスアライメント状態を調べ、
クライアントがいま感じている患部を観ますし、
クライアントがいま感じ取れていない患部を探索していきます【←これが治療点になることが多々あります】

こうした【部分と全体との調和を乱す関係性】を部分と全体をいったりきたりしながら視点を移して観察。
そうした行き来を30~50回もおこなえばクライアントの特徴に気づきだすでしょう。
そんなときに脈を見たり、経絡的に観ればとか、骨格筋の原理原則から観れば、重心や軸などから観れば、その他、
様々な視点を持ってデータを解析して状態を割り出していきます。
そのうえで【おそらくこのようなじょうたいであろう】という仮説を立ててアプローチをし、
仮説検証を幾度となく繰り返していきます。
いきなりこれが正解だってホラを吹くのは厳禁!
そんなにかんたんにその人の状況を遺伝子レベルや内臓状態に生活環境からくる身体の歪ませパターンなど、
わかりえるわけはないのです。
本人が気づいていない身体上の保全を乱す部分を汲み取っていく様子は、
全身情報を数値に状態を落とし込んで観察していくこともするでしょう。
これは私の内部の脳内でその人の人体の癖を言語化し推量を付加して、
そこを操りにかかります。
徹底した仮説の設置と仮説を検証のサイクルを適切な量を繰り返す。
そうしてアプローチする手順とポイントが見いだせます。

ただそういう私ですが、
正直に言えば、お客様の身体をチェックするようなとき、
【部分←→全体】の視点移動ノウハウを駆使するのですが、
自分で自分をみるときには自己を客観的に見るのができておらず、
主観的な苦痛を感じる患部部分に気が持っていかれることがあります。

そういった場合、気心のしれた整体の先生がおられる整体院にいきます。
そこで観てもらい、
その先生が私の状態を観て感じた客観的視点に基づくアドバイスをいただきます。
そうすることで自分一人で考えていたら迷宮に入って問題山積みと感じたものが、
『あっ、そっかそっか。それじゃ、全体から観ればここが正解じゃない!!』と。

こうした他者から得られる全体像を眺める視点は私が自身を理解するヒントになり、
これを活用することで様々な自身の持つ施術の資源の引き出しが開きだします。
空回りしたセルフケアも、こうなれば歯車が噛み合って前進がはじまります。

昨夜、同業者の先生の施術をさせていただいているとき、
『えっ、鈴木さんも他の治療院に足を運んだりするんですか!?』と驚かれたようです。
ですが、ゴミが8メートルの踏み場がないほど山積みになった状態に部屋にした張本人が自分だとすれば、
そうした状態でもある程度は生活できちゃってると慣れちゃった人になっているから
身体全体が乱れて部分に問題が表出したというわけでして。。。
他人の見立てでは荒れ果てた状態だなってかんたんに見つけられるわけですが、
自分ではこれが当たり前さって、どこが悪いのって、悪びれた末のことでありまして。
観たくないゴミを見ないようにする工夫を完璧にしたときに、
同業者の先生の忌憚なき一言に背筋が伸びます。==;

これ、私には必要ですね~。