先生の言葉に逆らってみる

技芸を学び取るとき。

繊細な感覚を維持し、
促進させるためには、
日々のたゆまない注意が必要。

歩き方や立ち方についても、
その考え方は同じ。
基本を忘れずに注意点を忘れずに。
それを怠ればワークで体を緩めたとしても、
時期に硬くなる。

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体の使い方を覚えるときに
時々先生に以下のアドバイスをもらう。

『いったん覚えたらそれを忘れなさい。』

それは頭で覚えようとすると体が硬くなり、
うまくその時間のトレーニングができなくなる。
それを防ぐためでもある。

頭で覚えるのではなく体で覚えること。
確かにこれは重要だが、
もし先生の言われた言葉どおりに従う場合と、
ノートに図や文章で記録して基礎を忘れないようにした場合。
どちらが伸びるだろうか?

人は手で文章として書いたときに、
そのものに対して理解力が深まる。
明らかに文章化するような行為は、
覚えて忘れる行為とは異なる。
だが「自分のものにする」行為だ。

僕は先生の言葉を信じて、
漫然と受けるものよりも、
手でペンを取り考えをまとめ、
ポイントを掴み取るべきだと思う。
とりあえず地道な努力を積み重ねるタイプなので、
この過程を大切にしたい。

生徒が先生の言葉の真意をどのように考えるかで、
同じレッスンを受けていても残るものが違うはず。

後でそのことに考えると、
『自分が何を目的にしてその場所へ行き学んだのか?』
という答えがかすんでいたことに気付く。

人の言葉にも信じるべき言葉と信じるべきではない言葉がある。
前者は受け取ればいいし、
後者は拒否すべきだろう。
決してそこに相手のあやふやな思惑に惑わされて従ってはいけない。
自分の考えが正しいと思える信念があり、
十分考えた末のことならば、
それに迷わず従うこと。

他のものの言葉は参考にするのはいい。
だが決して鵜呑みにするべきではない。

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何事も漫然としてやっていれば成果は少ない。
自分をどこへ運ぶかを決めて目標達成をもくろまねば。
そのためには自分で考え工夫しながら取り組むこと。
他人任せではなく自分任せの者でなければ、
体の使い方は身につくことはない。
他人はコーチにはなれても、
本人には成り代われないのです。

これは先生の言葉を信じるかどうかだけの問題ではなく、
人生の選択のあらゆる場面でそのようなことが言えると思う。