『おそらく〜だと推測するが』という表現の裏側

メールでお体の状態の相談を受けることがあります。


いつも定型的な表現を前置きとさせていただいています。


実際にボディチェックをしてみないと詳細はわかりませんので、
私のこれから書くことは極々参考までに、
そういう考え方もあるのだな程度に聴いておいてください、
という感じのことです。


体の不調を訴えられるとき。
過去または現在にあった外傷や長期にわたるアンバランスな姿勢や
筋肉の緊張が精神的な要因等で解けなかったり
内臓体性反射が絡んでいたり、その他など、
原因と思われるような要素はその人によっていろいろあるものです。


これらの要素がひとつだけしかない場合は少数派で、
複数あわせもたれていることが多くあります。


ですので質問表をお書きいただいていくつもの情報を頂きます。
それに基づいてボディチェックしていき体を詳細に知るように
分析を加えていきます。


この分析には民間医療系の専門書籍知識や
いままでのワークをしてきて築いてきた経験が活かされるわけです。
そうやって問題点の可能性の確からしさや除外すべきなどの見当をつけます。
そうしないと『おそらく〜だと推測するが』のようなあいまいな点が多く
推測の域はでないという文言しかいえなくなります。


知識や経験の量に比例してその推測も的を得ることを述べられることもあり
ずいぶん言い当てられるような気がするな、
と私からのメールの返信でお読みいただき感じることがあるかもしれません。
特に専門的なことを突っ込んで書かざるを得ないときもあるため、
同業者からの問い合わせなどでそのような感想をいただくことがあります。
逆に専門的なことを突っ込んで書きすぎて、
一般の方には何をいわんとしているのかわからないが、
鈴木の何かを伝えようという気持ちだけはわかるという感想が多いようです。


私としては『おそらく〜だと推測するが』という
曖昧模糊とした文言をいうのは性分的に割り切れないで気持ちがよくない。
ものごとをごまかして伝えているような嫌な気分にもなるし、
そのような表現で伝えられるほうもつらいところがあるだろう。



でも結果的に私が選んだ対応法は、
少しでもなにかお体の改善のためのヒントや参考になることがあればと考え
私が持っている知識を伝えるようにしています。


専門性が高い知識の伝達は、
相応の相互の共通言語が整えられたうえでなければ概念を共有しえない。
でも一般の方にはそこまで突っ込んで話せないので、
話を丸めなければならないところが出てきます。
そうなると深い理解が及ばねば言いえて妙なシンプルな言葉を選択できない。
そのうえ私の文章力では十分に伝えられないのがつらいですが。




とあるお客様がかつてメールである先生に質問をさせていただいたとき、
ある先生は『俺は超能力者じゃないから君の質問に割く時間はない』と
かなり強いお叱りの短文レスがくることも経験いたしとのこと。
最近はそのような先生も少なくなっているのではと思います。


一般の方の場合はどのように体や施術をとらえたり質問の言葉を選んだり
していいのかわからないのです。
施術院への質問の仕方のフォーマット文章なんてあまり観たこともない。
それなのにいきなり頭ごなしにされれば誰でも憤慨することでしょう。


ただとある先生に同様の質問をさせていただきましたときは、
丁寧に
『率直に言えば僕はあなたの状態がよくわからないけど、
このような感じならば、
臨床で改善させた経験がある。
そのときの臨床では〜』と教えてくれたといいます。


後者の先生のほうがコミュニケーション能力が高いでしょう。
私としてはそのような先生こそ尊敬すべき先生だと思います。