昨日の夜、
『朝まで生テレビ』元帝国軍人が戦争体験を語る、
という特集をみました。
私がイメージしている日本軍の戦争像が、
生の体験者の声を聞き多くが書き換えられた。
たまたま『薔薇色のイストワール』という第二次世界大戦中、
戦時下のフランス・ドイツで活躍した舞踏家:原田弘夫の伝記を読んでいた。
本の中では生々しい戦争の情景は描かれてはいない。
原田弘夫自身も現在ご存命でおられることを知っている。
だから彼が戦争で命を失うことはあり得ない。
『彼は戦争を生き抜けたのだ』という安心感。
その上で読み進めていった。
本で印象に残ったシーンがある。
原田弘夫は、
当時フランスのレジスタンス活動をする学生たちに金を援助するため、
各地で精力的に舞台に立った。
そして観客達からは、
彼の芸術性の高い舞踏は賞賛されていた。
だが前線で戦うドイツ軍の慰問で舞台に立ったとき。
すでにドイツはソ連の参戦で雲ゆきが悪い。
その中での慰問だった。
原田は舞台に上がり『娘道成寺』、『葵上』、『扇のエチュード』など、
おなじみの出し物を舞った。
だが原田が熱を帯びて舞うに従い、
観客が沈んでいった。
通常ドイツ人はその舞の不思議さを突き止めるため、
もう一度!と舞を繰り返させた。
それから賞賛の嵐が訪れる。
だがそれがまったくなかった。
舞台の契約は3日間。
だが一日の公演であとは全額を支払うからキャンセルだという。
理由は?
ドイツ軍は今まで長い時間をかけ、
家族や友人、恋人のこと、
平和だった日々を忘れさせてきた。
だが兵士たちは、
原田の舞を1時間観ただけでそのことを思い出してしまった。
そして兵士たちの士気を喪失させられてしまった。
兵舎の前で興奮した兵士が暴動寸前の状態となっていた。
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信じられない内容です。
荒ぶるドイツ兵が正気に戻らされた。
舞踏というものの特別な力を感じるエピソードです。
【注:原田弘夫は、
日本最古の舞踊流派、志賀山一流の十世家元・中村万作となる。】
舞踏以外でも、
芸術の域に達した者が表現したものには、
特別な力が宿る。
その特別な力が驚く形で表現されたのが、
このエピソードだろう。
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この本を読んだ後に、
朝まで生テレビで貴重な体験者の声を聞かせて頂いた。
私の頭の中でさまざまな思いが錯綜した。