中医学を学ぶうえで基礎をなす整体観。
そこには自然界に相似した存在として人体システムを考察し当てはめております。
【人間は自然の一部である】
たとえば、
のどが渇いて飲んだ水は、それがそのまま血液中に入るかというとそうではない。
中医学では違った見方をしています。
自然界での水の循環は、温められた海水が(気化)して気体となり軽くなり空中へと上行。
気化した水蒸気は移動が容易ですね。
それが上空で蒸気が凝集し水滴(液化)し、雲となる。
山に雲があたり凝集が増して重くなり雨を降らせる。
それが陸を潤し川に流れ海に戻る。
自然の営みは、それを繰り返しています。
塩分を含む液状の海水がそのまま陸地に降り注がないような仕組みがあることで、
陸上の植物は塩害のない生育環境で育つことができるわけです。
そういったことが人体内部にも起きています。
人体も飲食で摂取した水や食物は、いったん蒸気と似た気化の措置が脾臓でおこなわれ、
それから各臓器や細胞等に運ぶことができるようになるといいます。
確かに私どもの細胞の細胞膜は、直接水に浸しても水分を内部に取り込むことができません。
血液やリンパ液などの形にしておけば細胞内に通り抜けができる気化のような
軽くなって運ばれやすくなるよう加工がしてあります。
もしも気化して不要な塩分を持つ海水が地上に降り注ぐが如く、
飲食した真水やビールやお酒やジュースがそのままの形で体内に循環するならば・・・
人は生きてはいけないでしょう。
海水が気化して蒸気となったことで移動が楽にスムースになるのと同様なことをおこなってます。
これを【脾は運化の中枢】といわれる運化作用です。
かつて私は脾臓ってどうした機能を持つ臓器かわからず影が薄いものでした。
それが中医学の脾臓の捉え方を知ったとき、目からウロコが落ちました。
自然と人体を対比したサンプルとしての脾臓の運化は、ほんの一例です。
他の五臓六腑にも、そうした自然のなかとの共通項を見出すことができる。
そしてもっと別な切り口で、自然と人体を対比させることもできるのです。
そのような考えで、
【人体と自然界との類似した物質や作用(機能・仕組み)がある】とみて。
そうした観察眼が芽生えてくると、
徐々に人体内部で働く器官の仕組みと自然界のそれとの対応物がイメージできるようになります。
すると人体内部に発生する病理的なトラブルを引き起こす事物と
自然界に具体的にあるそれとの共通するイメージをもつ物や作用が重なりだしてきます。
自然界に起きている病理的なトラブルと言えそうなものが人体にも同様なイメージのものが存在し、
自然に起きた病理トラブルを改善させるノウハウがあれば、
それは人体への改善アプローチとして効果をもつ可能性がでてくることが見えてくる。
実際に私がおこなう施術では、このような視点で課題を解決してアイデアをだすことがあります。
こうして発案されたアイデアは、自然の世界ですでに検証されていると見れば、
どの事象がどの程度、どの条件でそうなるかなどの測りを含めて見えてきます。
それを独自に施術の手技に活かし自身や身内に実験し安全や効果を実証してからお客様の施術に用いていきます。
そうした挑戦は、得てして結果が良好です。
同時に、自然界と人体とのルール上、一致を説明が不能な状況での施術方法は、
健康を損ねる結果がでることが散見され注意が必要です。
自身の手技以外の施術をする先生のやり方についてみても、
このルール上に乗っ取られていれば安心ですが、かけ離れていれば警戒します。
私には自然と人体との重なり類似性を見出す抽出作業をする過程で、
なんらかの(本質)を見立てているように感じられます。
それゆえに、
(その自然現象を人体に例えると?)という視点で問うことが習慣化されてきます、
または逆も真実を含んでいますから、
(その人体の物質と機能・作用を自然界で見出せば、何と例えるか?)
そうした視点でものをみるセンスを伸ばすよう心がけております。
そして近年、ますます強く思うことは、
自分は自然界の事象やルール、仕組みをもっと具体的かつ大量に知るべきだと痛感。
ぜんぜんその知識や知恵が足りていないから、人体の見立てが進まないように感じられる。
もっと自然界のさまざまな面で肌感覚で感じ取れれば、違った施術方法が編み出せるのでは?!
数年間、自然豊かな土地で土に触れながら生活をすることこそが、
人体を知り施術を磨くことになりはしないか?
そのようなことを考えながら、
自宅のプランターや鉢植えから奔放に伸びた木々に翻弄されています。