自分でコントロールできないことはほどほどに

人の想念は力を持つと思う。
かなり強力なもので人を包み込みもするし壁を作ったりもする。


プラスの想念を持つならば、
その想念は現実にそうなることがある。
マイナスの想念を持つとそれもかなうことがある。


だったらできるだけマイナスの想念を持たないこと。
それに越したことはない。


治療師が本を書いたとします。
その治療師の書いた内容が80%ほど疑問が湧く内容だとする。
するとあとの20%の納得いく内容を評価せずに批判が先走る。


またはダンベル体操でぷちっと筋線維を断裂したり、
ピラティスやヨガでコアの筋肉を鍛えようという内容から
腹直筋を硬直させるような鍛え方をして腹痛および腰痛を被る。
これはよくあることです。


「なんだいいかげんなことをかいて!」
「こんなうそっぱちを並べて知らない人が読んだら体壊すじゃないの!?」


そして自分が被害を被ることがあれば、
そんなことを思いたくなることもあるわけです。


ただそれ以上に思いたくなってしまうのが同業者です。


その本に書かれている内容の危険性が具体的に理解でき、
実践で被害を被るお客様が来てしまわれたとき。
憤りを本の著者などに向けてしまいます。
非難したい気持ちになる。
それはお客様に対しての愛情と思いやりの気持ちから生じるものでもあります。




そのような内容について同業者で話題がのぼることがあります。


だがそのような場合でも、
私はそのような話に加わろうとは思いません。


とある治療師がいて過去にミスを犯したとします。
だがそれから以降研究に勤しんで力を付けていく。
逆に以前はすばらしい治療家が、
経営に走りすぎることもあります。
誰のための治療院かという定義がなくなることもあるのです。
安全な手技を主に使っていた方がリスクのある方法に傾倒したり、
その逆もあるのです。


出版されるまでのタイムラグ。
今のその著者の考え方云々はわかりません。
だから本に書かれた内容についての限定で、
それは違うよね程度は申しますが、
それ以上のことは口に出すことはないです。


それに人間はいつも悟り気づき成長すると考えています。
またその逆をいくこともある。


私はワークをおこない人の体の筋肉を緩めていく研究をしています。
なので意識がマイナスになると筋肉が虚脱し関節がずれることを知っています。


マイナスの意識を誰かに向けると自分の筋肉が弱化するのがわかるのです。
だから誰かにマイナスの意識を向けると、
向けられた相手にも被害が及びますが、
自分にも被害が及ぶわけです。
いつのまにか自分と相手の双方が被害者ですよね。


相手がナイスな人物に変わっていたら
マイナスの意識を持つ自分が丸損です。


そう考えるから口角泡を吐いて非難する友達に、
「あなたがそこまで怒る必要はないと思うよ」
というと冷たいといわれてしまう。


結局はその著者がどのようになるかは、
私がコントロールできる範囲の外の話。
そう行き着くのです。


不用意に誰かを非難しすぎるよりも、
その著書から学ぶべきところは学び、
いただけないところからも反面教師としての教えをいただけばいい。
そうすること以上につっこまざるをえない問題ならしかたないです。
でもそうじゃないならばほどほどにしておけばいいのです。


最近はつとにそう考えるようになりました。
確かにクールかもしれませんね。
でも合理的なやつ程度にしておいて欲しい。
そう願う今日この頃です。