技術進歩は豊かな生活と文化レベル向上を保証しているように思えます。
ですが意外にも『老子』では次のように語っています。
「技術が進めば進むほど社会は乱れ、
人間の知恵が増せば増すほど不幸な事件が絶えず、
法令が整えば整うほど、犯罪者がふえている」
無為自然主義のたわごとといえばそれまでです。
そんな悠長なことで時世の流れは渡れない。
ですが昨今のテレビのニュースをみていると
痛ましい事件が多くなりました。
そのような実感を持ち老子の言葉に耳を傾けたときぞっとしました。
老子が将来を危惧して書いた言葉ではないのはわかっているのですが。。
老子は将来の私たちが管理社会化し、
いつしかこのような事件が頻発することを予言していたのでは?
と勝手に邪推して鳥肌が立ちました。
神道は人間が生まれくるとき
物事の善悪を見定める『真心』を備えていたといいます。
善行を尊び慈悲の心や礼節心などは真心に含まれていて、
真心の輝きを失えば再びそれを取り戻すために禊を行う。
そのようにして生まれながらなんら技術や知恵や法令に
染まることない真心を保ち磨き続ける人生を送ります。
そう考えると技術や知恵や法令という後付されたものが、
本来持っていた大切なものから目を遠ざけさせた。
そんなことが言えるのではないかと思えてなりませんでした。
『技術や知恵や法令』より以前に身に着けていた大切なもの。
話がずれるかもしれませんが、
エンデの「モモ」という時間泥棒とモモの格闘を思い出しますね。
そこに視線を向けたとき、
気が休まり犯罪も減少するように感じます。
そのとき心身の緊張が解け安息が深まるように思います。
そう思っているのは私だけなのでしょうか?
そうじゃない気がするんですが。