体の改善の最良の友は、自己観察のプロセスを走らせるということ


施術をするときに、
お客様の体の状態をお伺いするときの意識として。


現状の体の状態を教えて欲しいという、
施術を成立させるために必要な情報収集をしようという考えもあります。


たとえば、、、
お客様がお見えになられたときに、私が、、、
「本日は、お体の状態ってどんな感じですか?」


「なんだか、お腹が痛くなって最近ちょっと呼吸も浅くなっている感じもして変なんですよ」
というように、お客様が述べられたとします。
お客様が現状で自身が気づく点について述べてもらうこと。
それが私にとって貴重な情報収集の手段のひとつですよね。


そして、通常はこちらから次に言葉を重ねていきます。
「えっ、それって、どういう感じなの。
もうちょっと詳しく教えてくださいませんか?」


すると、お客様の頭のなかでは、
ここ数週間から数ヶ月の自身の体を動かしてきた内容を振り返りだします。


「そういえば、こんな感じの具体的なエピソードもあったし。。。」
「いつぐらいから、不調感が強まったんですよ。」
「会社が超多忙の感じで、勤務時間が過密すぎるような気がするんです。」
「そういえば、対人ストレスもkこのごろ多く感じているみたいなんだよなぁ。。。」


と、お客様本人が、なにかを積極的に思い出してくれようとするときがあります。


自身の過去の状態を客観視する段階で、
その客観力が増せば増すほど冷静に考えられます。
まったくの他人に対してならば「こうすればいいもんじゃないか?」と、
かなり的確なアドバイスをすることができるのが人間です。
いままで長年生きてきた過程では、多くの知識や知恵や情報が詰まっている。
そちらをリソースとして活用すれば、
かなりのところが自己完結的に解決へ向くステップへ進めようとしてくれるのです。


現状の課題があることに気づき、
自分という人間を外から観ると、
大半の未解消の課題も解けます。


自己解決的に、ひとこと、
「そうなんだよなぁ。それじゃ、こんな感じの運動習慣、つけてみなきゃ。」
と自分の口からいっていただければ、
自分の思考過程で見つけた回答は大事にするという傾向があるため、
ひとつの大きな生活上の学びができて、
生活のクォリティを良くする選択を自らがしたことになります。
人は、自分で物を考えて悟って、そしてやってみたくなった欲求度の高いことしか、
アクションにまでつながらないことが多いものでしょう。


「そうしなくっちゃいけないなぁ、、、」と、気づくことも大事ですが、
同時に、
「あー、なるほど、そうすればよかったんだな!」と、ひらめくときが、もっと大事なんです。


自分が選択して納得したことじゃないと、やっていくに際して長続きなどしやしない。
それどころか、行動に移してくれるようなことはめったにないのです。


だから現状を自身で把握して客観視でき、
そこから気づきを得て、対処をひらめく。


そのような向上のサイクルが回りだすと、
反射的に、または習慣的に自己を変える。
そんな能力を身に備えたことになります。



施術で訪れたお客様に状態を教えて頂き、
過去に起きた様子を思い起こしてもらい、
観察から生まれた気づきをえるようにし。
そこから生まれるひらめきの改善プランをもって自発的に行動へと移していき、
自分の体の状態をさらに深く覗きこむ眼力を養う習慣が大事なのです。



もしも私が助け舟を出すという不遜な下心アリアリで、
「あなたは、運動不足ですから運動習慣をつけてくれないとこまりますね。」
といった不快なこと極まりないおせっかいなことをいわれたら。
私がもしお客様の立場ならば、
「ぜったい、こいつのために運動なんかしてやるものか!!」と、
意固地になって自虐的な行為に出るかもしれません。 ^-^;


それに耳が痛い正論ほど、わかっちゃいるけど出来ません。
耳タコになった言葉なんか、他人から投げられたら、
正直、凹んじゃいますよね。


すると結果的に最悪のパターンが待っています。
私自身、きっと気付かぬところで、
こんなひどいプレッシャーをお客様に投げてしまったこともあるでしょう。。。
あとで、「しまった!!!」と猛反省するような体験を繰り返しつつ、
まさに言葉の大切さと、施術者としての人格形成の必要性を感じる次第です。
まだ十分出来ているとは思いませんが、
しっかりできるようになりたいと願い、
真剣に取り組んでがんばっているところです。 m__m





つまり施術をするものとしては、
お客様が被られた体の負担が生じた事件現場を、
まず客観的に思い起こしてもらうことが大事で、
内省に至る観察を促す指示を出すのが
「本日はお体の状態って、どんな感じですか?」
というとっかかりの言葉なのです。


「そういえば・・・こういうことがあって、おそらくこれが原因かも。」
と過去を振り返り、
「それじゃ、こんな対処法があったかも・・・」
と未来に同様な自体が起きたら対処するための方法を学ぶこと。


それが大切だし質問の本質なのです。


ひとつのところだけに目が向いてしまうと、そこにばかり執着して他が見えなくなる。
一点だけを見つめてしまうフォーカスは、
現状を正確に捉えられているとは言えません。



現状の置かれている状況について理解しているつもりが、
過去の事象の一点にばかりフォーカスが向く傾向を持つ。
そのようになると過去に引きづられているし、
未来に意識が向かないままとなります。


そういったときに、すかさず施術者としては、
「そうですね。それも、なんだか体に負担をかけてしまって、つらくしちゃいそうですね。
なるほど、なるほど。
でも、それ意外にも何か関連しそうな問題ってありませんでしたか?
どんな些細な事でもいいから、思い出してみてくださいませんか!」
と、本人は「これっきゃない!」と思っているところの牙城を崩そうとしていきます。


こちらから新たに畳み掛けるような言葉をかけて、もうちょっと深掘りしていただこうと試みます。
すると経験上、あとひとつやふたつは必ず出てくるものです。
施術者が、「他には?えっそれ興味ある。もうちょっと詳しく言うと?」と探索モードの質問を繰り返すと、
ぼろぼろと驚くくらい「そういえばこういうことも、そういえばこういうことも、、、、」と、
堰を切ったように情報が出てくるときがあります。
そうなったら、しめたものです!



人は、自分の立場からしか物を見ません。
あまり視点を変えて多角的に見つめることはせず、
その人なりの独自の見方があるものです。
多くはひとつの目線で物を見がちなのです。


するとお客様自身が「これが問題なんだよな〜」と思うと、他を探求しなくなるのです。
そこが壁になって先に進めなくなる迷宮の入り口なのです。


そこの間口をもっと開放的に広く開けていって、
周りで何が起きているのか、
自分の内側で何が起きているのか。


そこを見つめ出せたときに、
今まであまり自分では発想していなかった原因も、
どっと多く口から出してみて、自分の耳でそれを聞いたとき。


本人的に「あっ、もしかして・・・」と、何かを見つけてくれることが多くあるんですよね。


そんなときに私の方で、
「いま、おっしゃっていただけたこと。言ってみて、どうでしたか?」
というと、



「・・・・・そうですね。
なんだか、今まではここが問題じゃないかなと思っていたところよりも、
別のこっちのほうが本質をついたクリアすべき課題だなと気づきました」


そんなように思考を拡散させていって、目いっぱい目の前に出させて見える化して、
それから分類して状況判断すればいい。
そうやって集約される過程で、
多くの自己客観視能力が身につけられるようになっていくでしょう。


なかなかここまでのコーチング的な質問を時間をかけてすることも稀ではありますが、
このようにできれば自己観察を自身で促す過程を大切にしていただければと願っております。




というのも、
多くの体の内側で繰り返される肩こりや腰痛など、
いつもの自分がいつものように繰り返される症状。


そのようなものがあると感じられる方々の中には、
自身の身の回りの客観的に環境を把握したり
感情の状態に気づいてみたりする振り返りの習慣を持たず、
自身で十分に対処できる知識や知恵を持っていても発揮できていないことが多いのです。


人は、過去の経験について振り返り対処例を考案することで、
未来に同様なことが起きても問題へと反転させないような改善能力を持っているものです。
振り返り、認知を刷新させる回数をいかに増やすようにできるか。
そこの活動に取り組む姿勢ができている人は、幸いです。



そんな人は「経験値があがってるね」とか「成長してるね〜」といってもらえますから。 ^-^



余談ですが、お客様のハーモニー体操の講師をしている男性ですが、
この内省力がはんぱない感じで。 ^-^
その自己の内側への探索モードに一瞬にして意識状態を変えられて、
自身の経験したことや感情等の内側の事象を描き出しておられます。


そうなんですよね、、、。


内省している際に、ただぼーっと観るのではなく、
自分がそれを見つかるのは、
当然だと信じきって見つける姿勢が大事です。
そんな気持ちで、
そこに焦点を当てたときの集中エネルギーは、たいそうなものです。
外から観ていて、ひしひしと、そう肌感覚で感じられてきますから。


私自身も、こうあるべきなんだろうと参考にさせて頂いております。