散歩日記:駒繋神社方面へ


一昨日前、
行き帰り7キロほどの世田谷区下馬の駒繋神社方面への散歩コースへ。


天気予報で今週は雨が多いと知り、
遠出の散歩はこの日しかない!と。


家をでて洗足図書館へ大量の本を返却し^-^;
それからサレジオ教会へ。
私以外には他に女性がひとり教会の椅子に腰掛け音色をきいておられました。
いつも薄暗い聖堂内にはほのかな明るさをともなう光が射し、
壁画を鑑賞することができた。


幸運にもパイプオルガンが静かに響き場を鎮め、
祭壇右手の天使たちにかこまれたマリア像が浮かび上がる。
みつめると像に生気を感じられていった。


でもここが目的地ではありませんから、
15分くらいでお暇をさせていただき、
駒繋神社へ。


駒繋神社は御祭神が大国主命
大国主命を信望する私は一度は参拝したかった神社です。
かつては蛇崩川が隣に流れていたが今は暗渠となり緑道化しています。
末社のお稲荷様を含め無事参拝を終え、
駒繋の松も見学いたしました。



帰りがけ世田谷観音寺(http://www.setagayakannon.com/sakuin.html)へ。
すでに夕刻5時近くとなり寺社の閉門の時刻が迫っています。


ですがおそらく住職さまと思しき方が、
「本堂におあがりになられて参拝してもけっこうですよ」
「写真を撮っていただいてもかまいませんよ」
と親切におっしゃっていただきました。(涙がでるほどうれしかった!)
お言葉に甘えさせていただき本堂に。
江戸三十三札所の三十二札所に数えられるお寺で、
聖観世音像は惚れ惚れするようなお姿でした。


お寺の境内には他にも印象深いものが多くて。
また来たいなと思いました。


裏門から出入りさせていただきましたが
そちらに地面に刺した看板がありました。
そこに書かれていた文章を記します。


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『大地は命の根源である。

私たちは大地を粗末に扱っている
大地は私たちのものだと思っているからである
そうではなくて私たちが大地の一部なのだと知れば
もっと愛情と敬意を持って扱うようになるだろう』

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私物化してもよいという人間のルールが行き過ぎれば、
私たちの命の根源が失われるから注意しようという。


生物のほとんどは大地からの供物をいただきます。
そして大地から生じ、大地に帰ります。
「私たちは大地の一部」ですから。