筋膜リリースをするときの問題意識


筋膜リリースをする視点をもって施術をするものとして。


『筋膜リリースをする』といいましても、
そこにひとつ、見つめなければならないところがあります。
『どれくらいの量をリリースしたのか』ということです。


つまり筋膜をリリースするといいましても、
深部までリリースの手が及んでいなければ、
関連する物質的な筋肉の可動は確保されません。


諸処の筋膜が緩んで体液を
体の隅々の内臓の深部から皮膚の上皮まで届かせること。
そうさせるためには骨格のフォームを正すのは最低条件。



そこにこだわることで、
どのような可能性が生まれるか知れば知るほど興味深い!


それを知るためにはどうすればいいでしょうか?


それは単純なことです。
虚飾の言葉なくひとりひとりの対応に
脳に汗をかき労力や時間を惜しまずに。


そうやって私が創り構築した施術法は、
他人がやるのはしんどいことでしょう。
ひとつの施術動作にも意味やポイントが複数も陰に含まれています。


数年前から比べると、
私の施術力が飛躍していることに気づくお客様は多くいます。


そのようなとき、
初めて深層筋を解くという意味がわかってきました。


そうなったときの幸せについて。


お客様にとってもですが、
私自身にとっても。


だから筋膜を解いているという先生の友達がいるのですが、
私が観てみると、
まだ彼の技術は足りていない。



その自覚があって悩んでいるといいます。


だから私が横で彼が解く姿を観て、
その成果物をチェックされるのを
極端に嫌がります。


私は別段、
厳しいことを言おうとは考えてないのです。
単純な知的好奇心で、
「なんでここ解かないの?」と
最重要ポイントをスルーした意図を聞くだけなのですが。^-^;


やはり個々の個性と特性と好みを生かして、
自分が思い描くようにまで極めるしかない。


適宜アドバイスはしていますが、
安易に私のやり方をマネなさいというのはよくありません。


自分で一生使える道具を手に入れようとしている人への贈り物にはならない。


私も自分なりの理を得て、
私にしか表現できないものを持っている。
そんなところの自信がなければ、
長い間やっていくのは難しい職業だと思うからです。