しなやかな動きは体のパーツのリスペクトから

立位体前屈で前屈するときに、
股関節を緩めて前方めがけ折り畳み、
それがいっぱいいっぱいなったら
次のステップで腰椎を順々にひとつずつロールダウンしていく。


そして胸椎や頚椎を緩めて同様にロールダウン。
そういった股関節や椎骨を順々に緩め伸ばし曲げるよう心がけると、
体が固い人でもけっこう前屈が深くできることもあるのです。


しなやかに体を動かす人を観察していると気付くことがあります。
ちゃんとこれらの関節を連携的に連続して使えているのですね。
まるで上半身の重さを吊り下げるのを楽しむようにして、
呼吸を吐くにつれてより深く前屈を深めていく。


しなやかに前傾できる方は、
お尻の部位が少しだけ後ろに引かれることで、
体が前傾しても倒れないようにバランスを整える。
股関節を緩めお尻の位置が適正に移動させている。


対してぎこちなく体を動かす人を観察すると、
あたかも関節がそこにないかのように使う。


股関節をほとんど曲げようとせずに、
腰椎からいきなり前屈させようとする。


すると体が前傾して倒れそうになるから、
前方への倒壊を防ごうとして腹直筋や起立筋が固まってしまう。
それは反射的に体を守ろうとする仕組みです。


それを無視して前傾しようと努力しては体に悪い負担がかかる。


そんなこと、しちゃいけない!


それは客観的に観れば当然のことのように思えるのですが、
案外と他人に指摘され初めて当該する関節の存在に気づくことが多いのです。
そんな指摘をされたときに「えぇ〜、そんな馬鹿な!」と思えてしまう。
でもその部分の関節を活かして使うパターンを伝えると
とたんに動きが自然になっている。


または関節の存在は知っていたが、
その関節をどうすれば機能的に活用できるか
仕組みを理解できていなくてということもあります。


人体というマシーンをあつかうときには、
自分は自分の体を十分に活かしているという自信があると観察眼が曇ります。
そうして実際には眼に明らかに映っていることも見えずに成長が頭打ちする。


そんなところの典型的なもののひとつが、
関節の正確な認識でしょう。


人体は信じられないほどに考えぬかれていて良く出来ています。
ひとつのパーツもあいまいな意識で創られたものは絶対にないのです。
すべては極限的な必要性を感じて目的意識が固まった上で創りだされました。
どの筋肉も、骨も、そして関節も。
すべてがそうです。


もしも思うように体がコントロールできていないならば
そのようなものをあいまいな意識で使おうとしていて、
うまく機能が発揮できていないのかもしれません。


たとえばあなたがこの関節はどのような目的意識で役割をあたえられ
存在し得たものかを学び感じ取るようにしていけば、
関節とは、スムースに油がさされたような快適さで応えてくれるでしょう。
ときとして動きの質がそれだけでも大幅に変わることもあるものです。