施術の自学自習のメリット

今日は三田周辺から高輪あたりを歩いていました。

三田の忍願寺に荻生徂徠の墓があります。

東京都教育委員会によって荻生徂徠墓の表示板が設置されています。

そちらを読むと、まず独学自習で学問をなしたと書かれていました。

自学自習に重きをおいた徂徠学の教えは、
彼自身が自学自習により学問を収めたことからも由来しているのでしょう。



独学だからどうも自分は異端ではないかと自信がないと思えることもある。
特に学校が各種、揃っている今では、学校に通うことが当たり前ですから。


ですが私は基本は独学です。
残念ながら整体の学校を通ったが、
その技術は納得できないでいました。
だから、一切、習ったものを使えていません。

でも自学自習により、
自分のペースで頑張り続ければ、
開花できるところまで、
たどりつくこともあるのだと思います。

しっかり自学自習に励めば、
荻生徂徠先生のような活躍できるような道もひらけることもあるのだなと、
ちょっとだけ思えたりしました。 ^-^;


施術の技術の講習会を受けたとしても、
かつて私が受けたものは、
短時間で多くの内容を詰め込んだものでした。

咀嚼して納得できる質問もできず、次に進みます。
多くを伝えてくれようとしているのですが、
身につかないのは困り者でした。

テクニックの手順は分かったが、
詳細に至る背景は一切わからず。
自分に高い技術を教えてもらって納得できるほどの力がないならば、
習ったとしても、そうはたやすく身につくものではないのですよね。

それなのに技術だけを型どおりだけ教わってしまうことに違和感を多少感じたりしました。。。

その教えられた通りにすれば、
それなりの成果はでるはず。

ただ私は、不明瞭な点が多ければ、
その時点で不測の罠に落ちそうで、
どうも使う気にはなれません。

そういうことで気づけば、
物理の本を読んだり、建築学の本を読んだり、
武道の体の捌き方を教える本を読んだり、
基礎的な解剖学や解剖生理学などを読み込んだり。

そんなところから、
自学自習でマイペースに、
施術を工夫してアレンジ。

自分で作ったものには、
正面切って向かい合える。
なにかあれば責任を取らねばという責任感がとても強く働きます。
なにかないようにしなければならないと、
人一倍、シビアに考えてしまいたくなる。

誰かに教わったものでは、
不思議とそこまでは思えないこともある。
誰々が教えてくれたのだが、
その人の教え方が悪かったとか、
教材が悪かったとか、
いろいろな言い訳をしてしまう。

自分が慎重さにかけていてはならないというのが前提ですから、
そんなことをお客様に申しても、
なんら言い開きにもならないのです。

そのようなところで私の場合には、
その施術の意図が明確で、
自分が考えてのことだから、
こうせねばならないと偉い先生がいっているという固定化した先入観なしに、
より最高なやり方を求め続け試行錯誤を繰り返していくことが可能であった。

それが現在の施術成果の良い結果にでているのでしょう。