保守的な感覚で生きる VS 改善チャンスを期待して生きること

たとえば、
私の甥っ子の話ですが、
以前務めていた会社では、休みも少なく朝6時から夜中にまで勤務となることもあったり、
上司のパワハラがあって、心身ともに疲弊していたことがあります。


その状況でも、私の義理の兄が癌で状態が悪くなっていたため
次の一手が打つことができない様子でした。
いま、このご時世ですから、次の職業をと考えると、
親だからこそ「うまくいかなかったらどうするのだ」とか心配するもの。
そのような心配をかけるのは申し訳ないという気持ちから、
ずっと耐えてきたのです。


ただ惜しまれることですが義理の兄が他界して、
即効で勤め先の会社に辞表をださせてもらいまして。


かねてより興味があった料理人への道へ進むように。


今は、料理専門学校に通学。
イタリアンに専攻したため、
イタリア語を学ばなければというところまでがんばっているといいます。


彼女がいるとのことで将来の生活も安定させるため、
必死に勉強している最中ですね。


今までの環境が変わらなければ、
つらくともこのまま勤めれば予想がつきます。
どうにか生活は出来る状況だと。


ただ以前の会社勤めのままいけば、
自分が決して幸せではないという思いが胸のうちにあり続けている。


つらきを耐えてということもある程度は必要だと思います。


ただつぎにやりたいことが控えている場合に変化しないというのは、
まさに自分の今後の飛躍する可能性の芽を摘むことになります。


以前の勤め先がつらいからというだけでというのではなく、
そこでの仕事を選択するよりも、
自分が活きるような活躍の場面をえられるように動き出す。


変化は希望をもたらす女神です。


真剣に向上心があり積極的な行動が取れる場合には、
変化が興奮する刺激的な人生を与えてくれるはずです。
そうやって自分の人生の価値を高めることになります。



これは、先日申しました、
「夢想家・批評家・現実家」の3つの部屋を行き来することで、
どうしても批評家の「お前、そんな甘っちょろい考えでやっていけるの??」というような、
が成り声が先行することで夢をみないようにすることにならないですみます。
批評家が先行すると、保守的な感覚でものをみてしまい、
未知の変化に対して、強い恐怖心をもってしまいます。


そのようになると変化するときには、少なからず不足の軋轢や困難が振りかかるのが世の常で、
それらを打開しなければならないといった考えでバランス感覚があれば、
走りながら調整作業をしていくことだってできるもの。


そうやって変化することのメリットを得られるものです。


とりあえず甥っ子にはがんばってほしいと願っています。
変化の波を生み出して、それに乗って、仕事面でも今まで以上に人生を楽しんでほしい。



意外に、体の使い方もそういったことがあるのですよね。
一般的にはおとなになってパターン化してしまえばしてしまうほど、保守的になる傾向が強い。


つまり今まで使っている筋肉を当たり前のようにいつも使い続ける。
そうするように運動神経系のプログラムが小脳に組まれています。
そうなっておれば、
すでに相当硬くなってしまった筋肉部分に負担を強いるだけで、
新たな筋肉部分を使わないから不測の筋肉痛などが出にくい。
そこそこ、そのままでもやってはいけるものなのです。


ですが、実際は、フェルデンクライス・メソッドのようなムーブメントで体の動かし方のパターンを変えるものをトライすれば、
おそらく9割型、理想から遠い動きをして、
筋動作への負担を強いて生きていることに気づくでしょう。
無意識に動く普段使いの動き方が、
理想から離れれば離れるほどつらい。。。


自らの身体の使い方の不具合で、
自らの身体にダメージを蓄積させている。
多かれ少なかれ、そのような傾向があります。



そのようなときに体の使い方を変化させていくならば、
今まで使ったこともなかった本来使うべき筋肉群が使われれば、
間違いなく筋肉痛になるんです。


だって、使ったことがないような筋肉をいきなり使うんですから、
生理現象で筋肉がパンプアップして炎症を持つのが普通ですから。


そのときにどのような種類の痛みがきているかがわかれば、
それに耐えて推し進めるべきか、
それとも一時休止をしていくか。
その分岐判断がつくと思います。


そして「この筋肉の炎症は改善痛なんだ」と判断できたときは、
痛いからつらいんですが、
しばらくすると大きな動きの質の改善を体が受け入れてくれて、
1/10ほどの負担で体が使えるようになることもありますよね。


そしてこのような変化を受け入れる経験を繰り返すと、
リスクとメリットという両方をバランスよく見つめる眼がつくと、
前進していくか後退するかを直感的に判断できるようになります。



改善するためのステップに起きる痛みかどうかを判断するのが難しいのですが、
施術を受けているような場合には、
状況を詳細にお伝えいただければ
変わって判断させていただくこともできますから。


すでにある程度の体の余裕が出てきている方は、
体の使い方は保守的になりすぎないで、
波瀾万丈で突き進みましょう。
(もちろん現在体がつらすぎるぞという人は、ムリはかえってダメージの雪だるま状態になりますから、お控えくださいね。m__m ちゃんと筋肉動作性と感覚神経系を改善させてからにしましょう)


危険があるところにいるときに、
人間はものすごく感性が研ぎ澄まされるのです。
「ここはどれくらいのリスクをとれるかどうか」という判断をして、
とにかく一歩を進めることが、生きのいい体を維持するのに役立ちます。